28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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今の状況・進むも地獄退くも地獄

長い間ブログが書けなかった。前回書いてから2か月ちょっとかな、書きたいとは思ってたんだけど、色々と環境の変化等もあって、書くことが出来なかった。

 

簡単に言うと復学した。前回の休学からちょうど一年になる。後期からの復学だ。

前回は半分ほどで行けなくなってしまったため、体感的にはその前の1年半の復学を入れて2年半ぶりくらいになる。

 

これで今期が終われば、計2年の休学と4年の在学期間となる。でもまだ3回生だ。来年も3回生であることは確定している。

こうなったのも、うつ病が治ることないまま、ただ休むだけの日々が限界に感じ、受けてみたら地元の公立大学に奇跡的に受かったという形だったので、集中力も生活も戻っておらず、ダメダメだった結果だ。

しかも、どうしようもなくなった時、休学届を出すことすら出来なくて、1年分くらい無駄に在学もしてしまっている。

 

完全な言い訳だとは思う。だけど、自分にとって最善と思うことをしてきたのも確かだと思う。

考える時間だけは十分以上にあったし、全部自分で選んできた。

 

だけど、結果だけ見れば、無駄に大学に生き、何もできないまま予想通りに休み、何を得られたのか、正直分からない。どうしようもなかったあの頃と今は何も変わっていない、。

 

 だけど、大学に行くことも、その後部活に入ったことも、どうしようもなくなって休学したのも、一度大丈夫だと思って戻ったのも、その後無理でやっぱり休学したのも、今回の復学も、全部自分で考えすぎなくらい考えて、いいと思う方法を選んだつもりだった。

 

休むことに関しては前に記事で書いたが、休むと言っても出来ることは、休学にすること、部活をやめること、予定を無くすこと、それくらいしかできない。

だけど時間は同じだけあって、その時間を休めと言われても、もうどうしようもないんだ。何もしない時間を過ごすことしかできない。

 

休みたくてもどうしていいかわからないし、休めない。

だからと言って、進んだとしても、集中も出来ないし、悪い時には動けなくなる。大学生活を過ごすという簡単なことでさえ今の自分には難しすぎる。

そして何もできないということがさらに重りとなってのしかかってくる。

 

ta-bo-50.hatenablog.com

 

 進むも地獄退くも地獄。この言葉がぴったりかもしれない。しかも付け加えるなら、進むも引くのも非常に大変だ。

 

どうしたらいいんだろうか?

 

今回復学を決めたのは、オンライン授業もあるからという理由もあったのだが、周りに多くの人がいたから出来なかったわけではなかった。確かにそれはしんどいが、決められた時間に何かをするということ、集中して何かを考えること、それももう出来ない。長い間離れていたというのも理由の一つだと思うが、そんなことも出来ないのに、無謀に進むことが正解とは言うのは違うような気がする。

 

だけど、さっきから否定ばっかりして本当に申し訳ないが、どうしようもないんだ。出来ることは家で何もしないこと。それだけだ。しんどいけど、ただ生きるということなら何とか出来てる。それも親の加護がないと出来ないのだが、、。

 

それは確かにできるけど、メンタルが持たない。休み始めた時は、ましになっていく感覚はあるが、進んでいない焦りや、迷惑をかけてしまっていることへの罪悪感、そして、このままずっと、ただ生きていても良くなるということはないということは感じる。どんどんしんどくなる。感覚があるうちはまだいい、しんどくなり過ぎた時、もうよくわからない所までは来た。しんどいことすらわからない。その時は楽だけど、これから何十年も体がもつとは思えない。

何かは変えないとと思うのだけど、その何かが分からない。

 

だからと言って、誰かに相談する。ここにも進めない。なんて言ったらいいんだ。元々コミュ力はあった方だと思う。友達を作ることもできると思う。だけど、迷惑をかけるために友達になるなんて出来ない。わがままだけど、どんな気持ちでその人と話したらいいんだろう。無理だ。

嘘ついて無理をしたらできるが、休学する前はそれで失敗した。楽しい時間は過ごせるが、どんどん知らない間にダメージが蓄積していてか壊れた。

 

カウンセラーの人とは前回の休学中にお話しできて、その点は進めた。非常にありがたいし、非常に助けて頂いた。

 

だけどカウンセラーの人に最後まで頼みつくすことは出来ない。

社会に戻るなら、友達だったり、社会の中でそうやっていけるようになる必要があると思うし、社会の中で普通に、相談とまではいかなくても話したい。

 

言い訳せず、突き進むのがいいんだろうか、人の迷惑なんて相手がどう感じるかで、どれだけ考えられたとしても分かりっこない。なら自分が良くなるほうへ、、。

 

そうすれば間違いなく、ただせさえ自分のことが嫌いな自分が、もっと自分のことを嫌いになるのは分かってる。何もしなければ苦しむのは自分だけだ。

 

ならそれでいいと思ってしまう。

 

こうやって考えすぎるのがよくないのかな、本当は進みたいとも思う。

だからこうやって復学のことを考えて、復学するために色々試して、実際今回しんどくて、厳しいと思いながらも復学したし、大学に入ったのも進みたかったからだ。

 

でも体がもたない。無理すれば進めるけど、進む力がない。動けない。どこまでできるか分からない。

出来ない、動けないって、また酷くなったらまた戻ってしまう。戻ってしまうというより、戻るしかなくなってしまう。それは怖い。嫌だ。でもそうするしかないのかもしれない。

 

否定ばっかりになって嫌な文章だと思う。

こうやって何もできないんだ。ごめん。

 

誰かに相談する。別にそれがすべてを解決するわけでもなんでもないし、もしかしたら悪化してもおかしいとも思わない。

だけど話したい。

それだけの能力が自分に無いし、最初は出来ても、いつおかしくなるか分からないし、するなら相当無理しないといけない。

無理することはダメなのかもしれないけど、そうしないと持たない。

 

一人でこもるのはもう地獄だ。楽なのかもしれんけど、出来ることの唯一のことだけど、怖いんだ。

でも進むのも相当な無理がかかる。それでも出来るかもわからない。そうやって何度も崩れてきた。

 

猶予もそんなにあるわけじゃない。別に大学卒業しなくたっていいけど、そうなったら、、

先のことは今は良いか。

 

今の状況というか、うつ病という病気は、進むも地獄戻るも地獄、留まるのだって地獄だし、何したって地獄がある。

何すればましになるのか、治る方向に進めるのか、何をするべきなのか、個人によって変わるだろうし、正解なんて無いんだろうけど、地獄の中で見つけられたらなっていう感じで過ごしてる。

 

進むのが正解とか、戻るほうがいいとか、とりあえず休むとか

もう正直分からない。

 

ただ今は話したくて、もがいてはいる。もがいているうちにさらにしんどくなって正直きついし、きつすぎるけど、今はその選択しかできなかった。

そして崩れて終わった。何もできないままメンタルが壊れている。

元々壊れてはいるが、部屋から出ることもままならないレベルまでは来た。

 

だけどこれでいいのかなとも思う壊れたけど、戻ったけど、初めてかもしれないから、周りがどうのこうのじゃなくて自分がやりたかったことをしようとしたのは。

 

ひどい状態で、どう見ても前へ進んでいるようには見えないけど、良いのかなって思ってる。選んだことだ。もし戻っていたらよかった保証もない。

 

うつ病。つくづくとても怖い病気だと思う。どんどん落ちていくのに、登ろうとする、踏ん張ろうとすることが不正解の可能性がある。

やりたいことがあるなら進みたい。だけど進んだ先が最悪の結果になる可能性もある。

何もしないのが一番安全だ。一番迷惑をかけないし、迷惑をかけないことで負担が全然違う。

 

自分のことを、努力することが良いことと思っていない結果主義の人間だと思っていたが、 何かをしないと変わらないとは思っているのかな。進むことが良いように思えてしまう。

 

今は迷惑をかける前提で進もうとしてる。周りからしたら最悪の人間だ。爆弾が自分から歩いては言ってきたようなものだ。爆弾なら爆弾らしく部屋に引きこもるのが最善なのだろうが、自分の器が小さくて進んでしまった。

初めてのことだから、すでに心は折れてるのにまだ進んでいる。しかも爆弾であることを隠して。自分のことしか考えないで。

本当に申し訳ない。

これしかできなかった。

 

 

今後どうなるかわからないけど、どうするかもわからないけど、とりあえず、絶対に生きてはいます。それだけは守るって、たった一つ約束したことだから。

 

 

 

読んでいただいた方、ありがとうございます。

久しぶりなこともあってほんとに下手だし、何が言いたいのかもよくわからないような文章になってしまった。

だけど、こうやって書けたこと。それだけはとても嬉しく感じてる。

出来れば頻度低くなっても続けられるといいな。

ブログ開始から一か月が経って

今日でブログ開始から一か月。

アクセス解析はこんな感じ

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8/12開始日~9/12

正直思ったよりも書けてるなっていうのが今の感想かな。

あと、思ったよりもめちゃくちゃたくさんの人に読んでもらえてびっくりしてる。本当にありがとうございます!

 

正直、お世辞でもうまいとは言えない文章だとは思うし、支離滅裂なことも書いてる。自分の思いを、考えを書いているので、こんな文章に誰も興味はないだろうなと思っていた。だから凄い嬉しい。反応してくれたり、コメントを書いてくれる人もいる。嬉しいばっかりだが、本当に嬉しい。

正直、最初の一か月なんて、誰の目にも入らないものだと思っていた。毎日0が続くと。誰にも読まれないただの日記のように、ただ一人で書いているだけになると思っていた。たまにでもいいから一人くらい読んでくれたら嬉しいな。一年くらいやってたら反応してくれる人いるかなっていうくらいに。

 

書き始めた時から書きたいことはいっぱいあった。あったけど、いざ書くとなると体が動かなかったり、やる気が出なかったりで、なかなか書けないんだろうな、とも思っていたな。だけどこうして毎日更新しているわけではないが、ほぼ毎日書いている。これもまた嬉しい誤算だ。何かが出来てるっていう達成感は今の自分ではなかなか味わえない。これもよかった。

 

でも、いくらでも書けるっていう感じではない。書きたいことはいっぱいあるんだけど、やっぱりというか、なかなか机の前に割ってパソコンに打ち込むということは出来ない。分かっていたことだが、やっぱりしんどいというか、集中力が続かなかったり、変なこと書いてはいけない、ネットで公開する文章が、こんなんでいい訳ないと自責の念に邪魔されてしまう。

 

だけど、ここまで続けられると嬉しい。

今の所、自分が書いているということに関しては、書くのも楽しいし、嬉しいしかないかもしれない。

 

だけど、紙に書いてるんじゃない。ネットで書いて公開している。というのは怖い所も凄くある。紙に書くのではなく、ネットに公開したのは、誰かに知ってもらえたらな、誰かに読んでもらえたら嬉しいなっていうことと、自分の意見は他の人がみてどうなんだろう?ということが気になった、という2点が大きな理由だと思っているのだが、冷静に考えればわかることではあるが、反応してくれる人なんて、よほど大きい所でしかあまりない。

幸いにも、読んでるよ、分かる、嬉しい等、コメントやツイッターで絡んでいただけたので、凄く良かったが、悪い、なんてこと書くんだと、わざわざ書く人はなかなかいないよなって思う。おかしいな、間違ってるって思っても、普通はそのままブラウザバックするからだ。

 

だから、もしかしたら、嬉しいコメントばかり見て浮かれてる場合ではないかもしれない。悲しんでいる人も、怒ってしまった人もいるかもしれないのだから、そこもちゃんと考えとかないと、、、、

 

なぜか、こうやって見えない批判を気にしてしまう。見えないのだから考えようがないし、反応しようがないし、変えようもない。だけど、自分の中の誰かが、もし、こういう可能性も、ちょっとひねればこうも取れると、どんどん批判を作ってしまう。

 

思い返せばずっとそうだ。学生時代、勉強して問題がすべて出来たとしても、これはこれでほんとにいいのか、こういうときもいけるか、抜けはないかと、どんどん自分の分かってないかもしれない所を探し続けていた。何かを分かった、出来るとは全然なれなかった。

そのおかげで、そこまでの時間勉強できなかったのに医学部に行かせてもらったのだから、文句を言うべきではないのかもしれないが、こういう性格は少し直していく必要があるかもしれない。

 

人間関係でもそうで、何をしたって相手が喜ぶか悲しむか、どれだけ小さいことでも気にしていた。また、何も言われてないのに、こう思ってる可能性はある、これはこっちのがよかったかもしれない、これは言わないほうが、、、と少しでもいい人間になろうと言われてない批判を勝手に想像して、その時の自分を一番納得できる形に成長させようとしていた。

これは多分にはなるが、この考えすぎな性格によって、人生も順風満帆、友達もたくさん、人間関係もこの上なく良好だったにもかかわらず、うつ病になったかもしれないとも思える。これが理由だと断定は出来ないが、、

 

話がそれてしまったが、ブログに関しても同じように批判を勝手に作ってる。読んでいただいている相手は今までと違って目に見えないし、不特定多数の人たちだ。だから、より考えようがないので、批判は深く考えるというより、色々あるかもなー程度に今の所は収まってくれている、というのはあるが、、

そもそも自分もよくブログで使う言葉だが、正解がない問題っていうのもあるし、書いているのはただの一意見であって、専門家が学会で何かを発表しているわけではない。本来、犯罪でさえなければ何かいてもいいのに、批判を求めるというのはおかしい話だ。

 

考え方については今までにも、もうちょっと楽にとらえられないかと試したことがあったが、なかなか出来なくて今は何もしていない。だけどこのブログを通じて少し糸口は見えるような気がした。

 

これに関しては良い発見だったと思う。何かタイトルにそぐわない変な話をしてしまったか感はあるが、感想ということで大目に見て頂けると幸いです。

 

あと、ブログを始めて、ほとんど初めて自分の気持ち、考えなどを文にして書いた。

自分の考えていることを、思っていることを書いているだけなので、分かっているはずなのだが、いざ書いてみて、読み返してみると、なんか新鮮な形で自分の考えと触れられる気がする。

自分はこう考えていたのかとか、なんか変じゃないかとか、立ててはいないんだけど、第三者目線に立って見るように見れる気がする(俯瞰的にの方が正しいのかな?)。何か新しい自分を見れるというか、自分自身だから新しくもなんともないんだけど、自分に気づけると言った表現の方が近いかな。元々見れていなかった自分を見れるような気がする。

こうやって自分を見れる、自分と向き合える、とは思っていなかったが、やっぱり頭でいくら考えても、一度考えて書いたり読んだりしてアウトプットすることは頭の整理につながるんだなということも再確認できた。

自分のことは分かってるつもりだったけど、わかって無かった。

 

 

色々書いてきたが、たった一か月だけど本当にいろいろ気づかされたし、嬉しいこともいっぱいあった。これだけの経験はなかなか得られないような気がする。

 

はじめた時は何となく家でできるし、気は楽かな、っていう安直な理由だったが、今はとても楽しくブログを書いている。

 

ブログを書き始めてよかった。

読んでくださった方コメントをくださった方も本当にありがとうございました。

そして、はてなさん、初心者でも簡単に、手軽に書けるサイトを作っていただいてありがとうございました。

うつ病の人への対処法に正解を求めないで欲しい

まず

うつ病のことについて調べてくれてありがとう。

うつ病の気持ちを分かろうとしてくれてありがとう。

その気持ちは凄い大きいものがある。わざわざ調べてくれて、分かってくれようとしている人にこんなこと言うのは正直めっちゃ気が引ける。

 

だけど、その今見た情報を、その誰かの発信したものを正解と思わないで。

 

違うんだよ。みんな違うんだ。こうやったらいいとかは無いんだよ。無いからこんなに苦しんでいる人がいっぱいいて、長い間治らない人がいて、それでいて、こうすれば治るっていう方法が未だに無いんだ。

 

これ以上何かしてっていうのはおこがましいし、言うつもりはない。

無いけど、もししてくれる。何かしたいって言ってくれるなら、もっとうつ病の人を見て欲しい。考えて欲しい。

正解がないし、これがいいって思いついても、逆効果になるかもしれないし、怖いのは分かる。誰か専門家だったり、当事者に聞きたくなる気持ちも分かる。

でも、みんな違うんだ。それが正解ってわけじゃない。統計をもしとれば、それがいいって出るかもしれないけど、違う人もいるんだ。あなたが助けたいって思ってくれたその人は、その方法がいいっていう保証はないんだ。

 

見るなとか、調べるな、っていうつもりは全くない。それはすごく嬉しい。その気持ちは本当に嬉しい。

でも、参考にするぐらいにしてほしい。

それで、もしその人が多数派じゃなかった時、その調べた人とは違う気持ちだったら、せっかく、わざわざしてくれているのに、その人は助からないんだ。ひどくなってしまう可能性だってあるんだ。そんなことはあって欲しくない。

 

この意見も間違ってるかもしれない。

こんなことを言うことで助かるはずだった多数派の人たちが救われないことになるかもしれない。

だから僕の一意見以上の何物でもないと思って読んで欲しいとは思うんだけど、、

 

もし、たとえそこに正解が書いてあったとしても、それを行うだけではダメなんだ。優しくする。受け入れる。いくらしたって何をしたって、その人がそこにいないと成立しない。誰かがその人を見てあげないと、分かってあげないと、考えてあげないと、、

 

分からないけど、難しいけど、考えてあげないと、その人はそこにいないんだ。

禁句とか、かけてあげて欲しい言葉とか、してほしいこととか、調べればいっぱい出てくる。だけど、それを読んで、作り上げたあなたでは助けられない。きつい言葉だけど、悲しいけど、これが現実だと思う。

 

そんなことをするなということじゃない。ほとんどの人がうつ病の人に対してそうしてくれるのは、良いことなのかもしれないとは思う。だけど、全員じゃダメな気がする。いや、ダメなんだ。誰か一人でいい。一人でいいから考えてくれる人がいる、分かってくれる人がいないとどうにもならない問題なんだ。一人ではどうしても解決できない病気なんだ。自分はまだ病気になって8年、色々と自分なりには勉強はしたつもりだが、まだまだ分かっていないことの方が多いし、人にアドバイスする立場でもないが、そんな気がしてならない。

 

難しすぎて、触れられなくなって、避けてしまうのは怖い。だから、難しいよ!わかんないよ!っていう人はこの記事なんて無視して好きにやって欲しい。

 

全部自分のわがまま。分かってる。だけど、作ったあなたでは助けられない。

多少はましになるかもしれないし、それで治る人もいる。だから大きくは言えないが、それではどうにもならない人もいる、ということを知って欲しいだけだ。少数派は助からないって決まってしまうのは悲しい。そんなのは嫌だ。

助けようとしてくれている気持ちはすごく嬉しいのに、それでうまくいかないのは悲しい。どちらにとっても悲しすぎる。

 

怖いことを書いてるのは分かってる。きついことを書いてるのも分かってる。完全にわがままだ。勝手な意見だ。何にもできないくせにこうしてくれ、それは違うっておかしい。しかもそれも正解じゃない。本来書いてはいけないようなことかもしれない。

 

 

 

この先はもう少しきついことを書く。正直書かないほうがいいと思う。だから、もし、考えようとしてくれるならでいい。分かってあげたい、考えたいっていう強い気持ちがある人以外は読んで欲しいとは言わない。ただ書きたいだけだから。

間違ってる。そんなこと言うべきじゃないとも思う。でもこれを書かないと、自分じゃなくなる気がする。ごめんなさい。この先は本当に一意見。参考にしなくてもいいし、軽い気持ちで試してみるのはやめて欲しい。危ない気しかしない。なら書くなって話なのだが、書きたい、、ごめんなさい。

 

 

たいそうなことを書いたが、本当にビビってる。怖い。何かがあったとき自分には責任が取れない。全く無責任な話だ。でも書きたかった。おかしいと思ったら、いくらでもぼろくそに言ってください。自分は死なないから、、それだけおかしいことを書くから。

 

自分は禁句とか、こう接したらいいとか正直無い気がしてる。いや、あるとは思うのだが、禁句とする、そう接するほうがいいとするだけではダメな気がする。それを読んで、その人と接する時何かを変えて接することになってしまうなら、そんなもの読まないで欲しいくらいに。

そこまで仲良くない人が、周りの大体がそうなるというのはすごくいいと思う。優しい社会に、受け入れられる社会になる気もする。だけど全員がそうなってしまうのは違う気がするんだ。

 

うつ病と分かって、何かを変えて接すれば、ほぼ間違いなくうつ病の人は気づく。気遣ってくれてるって。それは申し訳ないし、そこまでしてくれる人にもう迷惑はかけられない。そんなに色々してもらう立場の人間じゃないんだって、そんな気を遣って貰うくらいなら会わないほうが、言わないほうがいいかもってなってしまうかもしれない。

 

それにいくら禁句だとしても、うつ病本人はそのことを知っている。考えている。自分は甘えてる、もっと頑張らないと、価値がない、このままじゃダメ。。

そんなことは何度も何度もおかしくなるくらい自分に聞かされてる。だからこそ周りがそう言うことで、その考えを強める、それを正解と思ってしまうという点ではダメだというならすごくわかる。それはそうだと思う。

それは絶対ダメだし、そのためにわざわざ書いてくれている人がいるのに、こんな記事を書いてしまって申し訳ない。

 

だけど、誰かが触れてあげないと、その人はそのことについてずっと一人で考えないといけないことにはならないだろうか。相手が触れないと本人からは触れられない問題なんじゃないかなと思ってしまう。

もちろんそのあとのケアは大事だ。言うだけ言うなんてことは絶対にダメ。そのあとの言葉、反応、またその時だけじゃなく、その人とずっと付き添う必要がある。だから簡単にしてくれとは言わない。

 

だけど、禁句として、避けて接したところでその考えはなくならない。ずっと湧き出てくる。だから、誰かに、どこかで、ずっと付き合ってくれる、言ってくれる人が必要な気がしてならない。

難しい話だ。なんでそんな一人のために誰かが長い間つらい思いをして付き合ってあげる必要があるのか。そこまでしてくれる人にそんなにうつ病の人が頼れるのか。そうはどうしても今の自分では思えない。だからこんなことを求めていいとも、そうしてあげて欲しいとも思えない。

 

だけど、治るためには、社会に戻るためには必要なんじゃないかと思う。

避けるのは簡単だ。正解と言われている人間になって、接することもできる。だけど、それだけではダメな気がする。

難しいし、一つ間違えれば大変なことになるかもしれない。だからおすすめはしない。だけど簡単に禁句と言う、こうしてくれと言う、それだけでどうにかなる問題だとは思えない。

 

じゃあどうすればいいのか。

 

これだけダメだと言って、何も言わないわけにはいかない。だけど、こうしてほしいっていうのはないんだ。

ただ、その人のことを少しでもいい。考えてあげて欲しい。ちゃんと見て、病気の人じゃなくて、○○さんとしてみて欲しい。

その結果、嫌なことを言ってしまっても、悪いことをしてしまってもそんなに嫌な気はしないと思う。少なくとも自分はそうだ。

それよりも、こうしないと、これはしてはいけないと、色々考えて接される方が、何か距離を感じるし、触れないほうがいい気がして、どうしても頼れなくなってしまうと思う。

言ってはいけないことはあるかもしれない。だけど無理して、それを言わない人を作って、距離をもって接するだけでは、どうしても心を許せない。周りは避けれても、本人には避けられない。誰かと頑張りたいのに、その誰かがいない。

 

言葉使いや態度より、その人のそばに立つ、見る、考える、そういう人が大事なんじゃないのかな。多くの人は良く書かれてある人でいいと思う。だから、そういう接し方という本や記事、話などもよく目にはつくと思う。

だけど、全員がそうなってしまうのは怖い。社会から別の人間だと、接し方の違う人間になってしまうのが怖い。

何もできないのは確か。大した力も無いのは確かだが、別の世界に送られるくらいなら、何を言われてもいいから側においてくれ、一緒の世界におらせてくれと思う人は僕以外にもいる気がする。わがままだけど、言いたかった。

 

 

最後にもう一度

うつ病、またほかの精神病も凄くデリケートな問題で、難しいし、簡単に言ってはいけないことだと思う。これは僕の意見だが、正解とは思ってない。違う。

こんなことを思っている人もいるんだなと、どこかに残して頂けたら幸いですが、何を言ってるんだバカと忘れ去っていただいても、まったくもって大丈夫です。

 

長々と自分の意見を書いているだけの何の参考にもならない文章でしたが、付き合っていただいてありがとうございました。