よく、疲れてる人を見たり、元気のない人を見ると「ちょっと休んで」と声をかけないだろうか?
自分もうつ病になるまではよく言ってた気がするし、それが「普通」で正解だと思っていた。
でもよくよく考えると休むっていうのはどういう意味なのだろうか?
休むというとまず最初に寝る、横になるということをイメージする人が多いと思う。
肉体的に疲労が溜まっているときは寝れば疲労が抜けるし、横になって何もしないで時間を過ごすと精神的にも記憶が薄れたり、自律神経が整えられて、らくになることも多い。
軽ければこれでいいのかもしれない。
しかし、肉体的にダメージがひどく、肉離れや靭帯損傷、骨折したときはこうはいかない。病院に行って固定したり、ひどければ手術したりと何らかの処置を受ける必要がある。
では、精神的にはどうか?
精神病にも薬は確かにある。幸せホルモンの分泌を助けたり、自律神経を整えたりは多少は出来る。しかし、それだけでは治らないのが精神病の怖さである。
その時出てくるのが休むという言葉だ
骨折した人が松葉杖を使ったり、熱のある人が水分とって寝るということのように、うつ病の人には休めという。
正解といえば正解なんだろう。休めば自律神経が整えられるし、心も落ち着いてくる。
でも休むということは誰にでもできることじゃないのだ。
うつ病になると、最初の悩みとして寝れないという人は多いと思う、これは安心していい。睡眠薬や睡眠導入剤はいいのがある。病院に行って先生と話しながら自分に合うものを探せば、最初は寝れなくても、生活習慣を少しずつ改善していって、何とか寝れるようにはなる。一度出来ても、なんども出来なくなるから簡単な話ではないし、時間もかかるしで、相当きついのは確かだが、、
睡眠に関しては医学が進んでいることもあって何とかなるとは思える。
これでどんどん良くなっていけばいいのだが、それでもしんどい時が困るし、それがほとんどだ。
十分寝て、仕事や学校も休み特に何もしなくていい、体も疲れてない、こういう状況を作れてもなお、しんどいのだ。
こうなると休みようがない。
気分転換になることや、体を動かしたり、太陽を浴びて幸せホルモンを出すというような、効果があるとされることはまだまだあるが、休めない。
休めないなら効果があるとされてることをすればいいと思うかもしれないが、そういう思いで療養生活をしていると「アレしないと」、「またできなかった」と脅迫概念にとらわれる可能性もあるし、何しろ、したところで効果が目に見えず、先が見えなさ過ぎてよりしんどくなる可能性もある。
相当頭でっかちな言い訳野郎のように感じるが、体験している自分はそう感じでしまう。
ちょっとわき道にそれてしまったが、ここではうつを治すということじゃなく、休むということについて話したいと思う。
人はほぼ、大小はあれど何かしらに無理して生活してる。だからそれをやめて休むということは理解できる。
でも、病気になったり、何かがきっかけで無理せず、頑張らずに生きることになったとき、休むという言葉の意味がよく分からなくなってしまう。
休まなくてはいけないのに、休めないから無理して休むというのは、無理してることになるし、何かしないとだめだと思うのに、あえて何もしないでじっとしてるということも無理してることになってしまう、、
ここでちょっと違和感を感じる。
何もしないということは本当に疲れるのだろうか?疲れているのだとしたらなぜ疲れるのだろう?
動物として生きていくうえで最低限の栄養、水分をとるということは、するものとして、それ以外何もしなくても人間は疲れてしまう。
この辺りは個人の感想だと言われてしまうとどうしようもないが、人は普通に、当たり前に、常識的に生きているだけで疲れてしまう。
そんなんだったら生きていけないと思うかもしれないが、「普通」とか「当たり前」、「常識」という言葉の意味をよく考えると、少しは分かってもらえるかもしれない。
うつ病になりやすい人の性格としてよく挙げられることとに、真面目で正義感が強いということがある。簡単に言うと、簡略化しすぎなのかもしれないが、いい人なんですよね。その人の「普通」って普通の人じゃなくて、いい人なんです。
いい人ってのは難しくて、主語が相手や周りなんです。
(周りから見て)いい人。(相手から見て)いい人。
こうなろうとすると本当に難しい。相手の気持ちなんてわからないからだ。何となくとか、普通に考えてとなると分かるような気がすることもあるけど、真意はどうしてもわからないし、考えれば考えるほどどんどんわからなくなってしまう。
(そもそもの普通という意味も考えるほどよく歪んでしまう)
分からないんだけど、真面目で正義感が強いから、もっといい人になろうとするし、いい人であろうとする。過去の間違いも気になるし、今後何するべきかも考える。
これは人間として正解のように見えるし、教科書に乗せるならこういう生き方なんだろう。
でもね、でも、難しすぎると思うんです。
出来ればそうしたいけど、したいけど、、病気になって8年ずっと考え続けてまだ全くわからないって思うほど難しいんです。
私情を挟みましたが、休むにはどうしてもこの考え方をどうにかしないといけない気がします。
迷惑かけてもいい、好きなようにしていいって、人に言われても信じられないし、信じられたとしても、そうそう変われるものではないと思います。もしかしたら性格は何したって変われないものなのかもしれない、とも思います。
でも休まないと、本人は治らない。
でも休めない。
医学的なものに詳しいわけでもないし、アドバイスする資格があるのかわからないのですが、それでも休まないといけなくて、どうしようもなくなってる人が多い現状で、何とか休める方法は無いのだろうか。自分の経験から言えることを一つ紹介しようと思う。
一回いい人、周りから見えてる自分をお休みして自分を出してみよ
訳わからないことを言い出したけど、自分は大事だと思う。
疲れてることに気づかないと休めないし、疲れてるって気づくことは休むことのスタートラインだと思うんです。
周りの人間が分からないのと同じように、自分のことは分からないと思います。もしかしたら一番近い所にいる分、もっとわからないかもしれない。
こうやって頭の中で解決しようとしても、何か動いてみないと頭の中で巡るだけだと思うので、具体的に言うと、
布団とかで何重も顔を覆ったり、周りに出来るだけ声が漏れないようにして、思いっきり、出来るだけ、本気で大声で叫んでみてください。しんどくなるまで、もう声がでなくなったり、苦しくなるくらい。外に出れる人は、大声出したり暴れても迷惑ならず、周りの目も気にならない、カラオケボックスとか、誰もいない山の上とかでもいいかもしれない。出来るだけ全力で、全身を使って、すべてを出し切る気持ちで。
多分なんか吹っ切れたような気がすると思います。新しい自分を見たような、自分が自分じゃないような。大声で泣いてしまう人も少なくないと思う。
どれだけ自分が我慢してたのか気づける思う。
どうすれば休めるのか。
これだ!っていう正解は分からないし、無いのかもしれないけど、自分の疲れに気づいて、周りとか関係なく、自分と向き合う、自分のすべてを出してみることで、疲れに気づくことで、少しでも休めるようになると思います。
当たり前化した意識の中で、無理してると気づけない無理が少しでも見えれば、休むための一歩を踏み出せるし、今まで見えてなかったものが見えたり、勘違いなどに気づくことがもしあれば、もう一歩進めるかもしれない。
どうすれば休めるか?これは全身の力を出し切った後まで置いといて、出し切った後もう一度考えることにしよう。
ありがとうございました。