20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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無理やりにでも涙を流してスッキリしよう

最近泣きましたか?

この問いの答えは人によってばらつきが凄くあると思う。

ドラマや映画、人間関係等なんでもすぐ泣く人もいれば、何があっても泣かない人、特定のことが弱くてその時には泣くという人。本当にそれぞれだと思う。

 

自分は何があっても泣かない人だった。

泣くのは弱い人がすること。男は泣くな。そう教わって過ごしたからというのも大きい理由だ。小学生の高学年ぐらいから、どれだけ痛くても、どれだけ悲しくても涙をぐっとこらえ続けてきた。ずっとこらえ続けた結果、いつの間にか全く泣かない体になっていた。

それでも泣きそうなときはいくつかあった。おじいちゃんとの別れ、部活の引退試合、卒業式は特にきつかった。自分のはもちろんのこと、仲の良かった先輩が引退する、卒業する時もやばかった。だけど、その時でさえ涙を流さずにこらえた。

よく考えれば、よく考えなくても分かるが、こらえる理由なんてないはずなんだが、なんかかっこ悪いような気がしたり、心配かけたくないような気持ち、泣くのはずるいような気がしたりして、こらえていた。泣くことは悪いことだという気持ちがどこかにあったかもしれない。

こうやって泣かない人生を10年以上歩んできた。

 

しかし、うつ病になってから思いっきり泣いた事件が発生した。事件とは言っても何かがあったわけではない。ただ、自分のしんどさに耐えられなくなり、自分の思いを母に思いっきりぶつけてしまっただけのことだ。

泣くつもりなんてなかった。何なら自分の思いをそこまで伝えようとすらしていなかった。母のセリフがちょっと気にかかって、そうじゃないんだと言えればそれでよかった。

母が聞き上手な面もあったのだろう。いろいろ引き出された。それに乗っかって自分の思いを伝えているうちに涙が出てきた。

言おうと全くしていなかったこと、自分自身ではそんなに気にしてないと思っていたことまでどんどん出てきた。自分がそう思ってたのかと、言ってから気づくことも多く出てきて、正直自分で自分が言っていることにびっくりした。

 

多分、その時、相当しんどかったのだろう。自分が思っている数倍は体がきつかったんだと思う。知らなかった。隠すつもりも、我慢する気もなかったのに、勝手に我慢していたんだと思う。

ほとんどわめくように泣きながらぶちまけた。客観的にみれば相当無様で迷惑な人間だと思ってしまうくらい、嘘のように泣いた。

ずっと泣いてこなかった自分としては衝撃的だった。そして、自分が自分のことをこんなに知らないのかと相当驚いた。

 

しかし、そのあとベットに引きこもり、泣き止んだ後、今までが嘘のように、まるでうつ病が治ったと感じるレベルですっきりした。

別にそれまで誰かに話を聞いてほしいとも思っていなかったし、具体的にどういうことがしんどい、つらい、ということもなかった。何かを出せば楽になれるなんて全く思ってもいなかった。

自分が見えてなかった。さんざん何時間も、何百時間も、下手しなくても何千時間も向き合ってきたつもりだったのに、こんな簡単なことが見えていなかった。

 

涙はスッキリさせる効果がある。

医学的根拠もあるみたいだが、専門家ではないのでここではその根拠については触れないでおこうと思うが、自分の経験からはそれが正しいと言える気がする。

 

その事件以降、時々泣くようにしている。

とはいっても、これまでさんざん泣かないで生きてきて、急に泣けと言われてもなかなか泣けない。そんな中色々試して無理やりな感じで泣いている。

無理やり泣いても効果がある。あの事件の時の衝撃が大きすぎて、多少効果が薄いような気もしなくはないが、この習慣は自分の精神衛生上とても役に立っている。

 

自分のやり方としては、基本的には自分の思いをぶちまける最初の時のやり方とほとんど同じやり方をとっている。とはいってもなかなか相手に聞いてもらうと思うと気が引けるので一人でやっているが。

布団にくるまって多少大声出しても大丈夫な状況にして、自分が今しんどいこと、つらいこと、なんでもいい、少しでもしんどいことを声に出して言う。言葉に詰まったときは「しんどい」「つらい」「きつい」「助けてくれ」なんでもいいから声に出す。なんでもいいから声に出して今しんどいことを言う。

たったそれだけと思うかもしれないが、声に出して言うことは自分の感情に相当影響を与える。泣こうとしながら言っている部分も大きいかもしれないが、まさにあの時のように涙が出てくる。そして言葉が続く。

気持ち的にしんどい時、何かがあったときは上のやり方でやっているが、調子はそんなに悪くない感じで、でも最近泣いていないなってときは映画などを見て、もらい泣きのような形をとる。自分にとって一番いいのはランボーの最初の映画。これは何度見ても泣ける。最後のシーンだけ見ただけでももう止まらない。

 

正直方法は何でもいいと思う。たまになく人はその時を想像してもいいし、泣きまねをするのも効果はある。

泣くこと。思いをぶちまけること。これは本当の自分を出してくれる。自分を出して、その時は感情というか本能というか、知らずに押さえつけている自分を解放できるような気がする。

もちろん、泣いたからと言って、すべてを出し切れるわけではないし、つらいことのすべてをリセットできるわけではない。しかし、人はつらいとき、どうしても自分を何かで押さえつけている部分はあると思う。つらいけど何したってこのつらさはなくならない。そう知っているから、押さえつけて、我慢して、忘れるまで待って、つらいまま、特に処理も出来ないまま生活している。

そのつらい気持ちを時々ぶちまけて向き合ってみる。自分では大したことないと思っていることでも、体がどう思っているかは以外に分かっていないことも多い。このストレス社会と言われる中、特に病気等になって無かったり、そこまでしんどいとも思っていない人もやってみる価値はある気がする。

 

最近いつ泣きましたか?

もし泣いてないなーと思った人がいたら、一度無理やりでもいいので泣いてみてほしい。思いのほかスッキリすると思いますよ。