28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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読書感想文から逃げに逃げた人間が今こうしてブログを書いている不思議

今週のお題「読書感想文」

 

読書感想文。昔は大嫌いだった。本も全く読まなかったし、ものを書くのも嫌いだった。それが合わさった読書感想文の宿題はまともに書いた覚えがない。出さずに怒られ続けて、来週出します。明日出します。と逃げに逃げて結局出さなかったこともしばしばあった。

 

別に本を読むことが嫌いだったわけではないと思う。ただ、もっと楽しいことがあったのと、一つのことをするのに何時間もかかってしまうことが嫌だった。だからちょっと読み始めてもすぐにやめてしまって、まともに本を読まなかった。

無理やり読まされたこともあったのも嫌いになった原因かもしれない。昔から国語の成績だけすこぶる悪かったのもあって、中学受験をしたのだが、小学6年生の夏休みを開けてからは国語の勉強だけをやらされた。その中で文章をかなり読んだ覚えがある。

読むのは嫌いじゃなかったけど、絶対筆者はそう思っているのか?そんなんおかしくないかと、どんどん嫌いになった覚えだけはある。本は何も悪くないのに濡れ衣を着せられた形だ。

 

そこまで本を読むこと、文を書くことが嫌いで逃げていた自分が、今こうしてブログを始めて、書いている。本も読むというほどではないが、そこそこ読むようになった。不思議な話だ。

元々やれと指示されるとやる気がなくなるアマノジャクな性格もあるので、そういった影響もあるかもしれないが、読書感想文を書いているわけではないが、いざ、本を読んだり、文を書いたり、というものをしてみると楽しい。いろいろな発見があるし、自分をもっと知れる。昔の自分に勧めたいぐらいだ。絶対当時の自分はしないのは分かっているが、、

本を読むこと、文を書くこと、これは大事なこと、何かを得られる。と今の自分は思う。結果を期待してやるには、時間がかかりすぎる気もするので、嫌々やっていては、なかなかモチベーションが続かない気がするが、良いことだと思う。

教育の現場に文句を言うつもりもないし、実際先生達はすごくよくやっていたと思う。しかし、どこかでこの楽しさ、大事さに自分が気づければよかったと思うし、気づけなかった自分が少し悲しい。

子供の時というのは、やりたいことであふれていることが多い。元気も有り余っている。そんな中で、本を読む楽しさや、文を書く楽しさを知るのはなかなか難しいことではある。

学生時代テストや試合が多く、それ以外の時に我慢していた思いっきり遊びたいという気持ちも生まれる。こういう状況だと楽しいと思えていないものに時間を使えというのはさらに難しい。時間のかかることならなおのさらだと思う。

学生というのは忙しいのかもしれない。元気が有り余っている分、自分から忙しいほうへ向かっている節もあるとは思うが、イベントが多すぎる。今テストを年5回+α、毎日部活、試合が年4回、文化祭、体育祭、その他もろもろ。絶対できる気がしない。

言い訳をするわけではないが、こう考えると当時の自分が本を読まなかった文を書かなかった理由が少し見えてくる。余裕がなかったのだ。

基本的になんでも楽しめる自分がこうなのだから、そもそもじっとする趣味が嫌いな人はもっと感じているかもしれない。

良い大学に行く、良い所に就職する、大会で結果を出す、イベントを成功させる、楽しい学生生活を送る。欲張りなのかもしれない。まあ、今の社会、学生時代に何をしたかで人生が変わってしまうと思う点もあるので、もうちょっとゆっくりすればなんて無責任に言えないが、余白が少なすぎるような気がする。その時は何の不満もなかったし、楽しくていい学生時代だったのは間違いないのだが、、

 

読書感想文。最近は意味があるのか、いらないのではないか、という意見があるようだが、自分はあっていいと思う。

どうしても学生にはテストというものがあって、それの大事さが凄い重い。だから、テスト以外の勉強は全く力が入らないことも多いと思う。なんか無駄な気がしてしまうのだ。わざわざ勉強に時間かけるのに、点数が上がらないものをする必要があるのか。というように。そんな中では、嫌々ただこなすだけのように書く人も多いだろうし、その現状では意味がないと言えてしまうのかもしれない。

だけどだからと言って無くすと、学生の結果主義、テストの重要度、どの大学へ行く、どこに就職するか至上主義はどんどん増していく。

確かに、それは大事なんだろう。資本主義経済において、これを大事と言わないのは無理がある。

しかし、学生なんだから、なんでもしていいはずなのだ。やりたいことをやっているように見えて、実は多くのことをやらされて、それが普通と思っている現状は異常な気がする。

本を読んで、それを自分の言葉にする。

学生だから、それが宿題になったり、採点されたり等もするだろう。

だから、嫌々こなす。いい点になるような文を書く。これは仕方が無いのかもしれない。

このままの状況では意味が無いのかもしれないし、今後無くなってしまうかもしれない。

 

しかし、本を読むこと、自分の文章で文を書くこと、これはとても大事だ。国語の成績よりも大事なことはあると、今の自分には思う。

 

確かに学生時代は大事だ。テストも大事、部活も大事、でも一回くらいテストしなくてもいいんじゃないかな、やる気でないときは部活に行かなくてもいいんじゃないかな、無責任に書いているが、そんな気がする。

これは本人ではどうにもならない問題だし、教師一人二人でもどうにもならない。

読書感想文。これは大事なことだから、テスト至上主義や、無駄な時間を過ごせない学生生活じゃなければもっと評価される課題だと思う。

 

当時は感じていなかったし、普通だったが、振り返ってみて余裕がなかったなーと感じた。今学生生活を送っている人もそれが普通だし、余裕はあるよと思うと思う。でも、どうしてもやらないといけないことが多すぎる気がしてならない。

何の力があるわけではないが、読書感想文は出来ればなくなって欲しくないし、評価されるような時代になって欲しい。