28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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あなたが傷つくことを周りは望んでいない

当たり前のような話。

当たり前のような話だが、周りのために自分が苦労することは誰しもしていることではないのかと思う。

 

この言葉は凄くきつい言葉だ。周りのために苦労している、頑張っている人に追い打ちをかける言葉。出来れば言いたくないし、そもそも信じたくないと思っているかもしれない。

でも、それでもそう思わないと、そう信じないと自分は動き出せなかった。今でも自分をいたわっているとは思えないし、周りのためにと勝手に思って、どんどんしんどくなっているとは思う。なかなかそうは考えられない。

でも、今は自分が苦労する、頑張るという行為自体が周りに心配をかけさせ、周りを悲しませているんだろうなという意識は持てているとは思う。

周りのために頑張れば、周りの嫌なことを自分が引き受ければ、周りに感謝されれば、自分は良い人でいられると思っていた。でも、それは違った。自分が思っている以上に心配をかけ、悲しませていた。

 

確かに、自分がどれだけ苦労しようと、その結果だけしか見ず、喜ぶ人もいる。自分はそういう人であったとしても、ひとりでも喜んでくれればそれでよかった。だからなんだってしたし、周りが少しでも笑うために動いていた。もともと好き嫌いが少なく、しんどいことや汚れ仕事であったとしても楽しめたというのはあるだろうが、そうやって認められる、喜んでもらえるのが凄く嬉しかった。

でもその陰では、自分のことを思ってくれる人を悲しませていた。

気づかなかった。というより、気づいていたのに受け入れられなかったのかもしれない。だったらどうしたらいいのか分からなかった。周りのためにやっていると態度に出すのは嫌だったが、動くことは悪いと思いたくなかった。

相手に喜んで欲しいのに、何もしない。好きなことをやる。それが正解だなんて思えなかったし、思いたくなかった。

 

情けは人の為ならず

 

こういう言葉がある。情けをかけるのは人のためじゃない。自分のためだという言葉だ。

分かっているつもりだった。別に誰かのために苦労してるわけではない。自分が褒められたいから、嬉しいから、やりたいからやってる。そう思おうとしてるんじゃなくて、そう思ってやっている。

だけど、どこかに、人に為に動いてるんだから迷惑にはなってない。他のことをするよりは役に立っているはずだ。と思いこもうとしていたかもしれない。

完全に自分のエゴだ。世間的に、普通よく思われている感じとして、良い人になって、いい人と思われたいというエゴによって周りを振り回してた。

 

全く気付いていなかったわけじゃない。見えてたのに見ようとしてなかった。自分が苦しめば、自分がつらい思いをすれば、それを忘れられて正当化出来てたんだと思う。

 

世の中ではよく、これは良い、これは悪いと言われる。でも一つ一つ細かく見ればいいか悪いかなんてその人次第だし、自分で変えることなんてできない。

苦労している人は責めにくいからという相手の良心をつくために頑張ってたと言われても今の自分には何も言い返せない。

 

こうやって周りのためにと思い込もうとして、それだけを見てきた自分は、自分のことについて何にもわかって無い。何をしたいのか、何をしたくないのか全然分からない。

こんな自分じゃ自分を幸せにすることなんて出来ないし、周りを幸せにするなんてことは出来るわけない。

幸せな人は周りを意図せず幸せにしてる。こんなエゴに取りつかれた周りばっかりを気にして自分の意志を持たない自分は、言ってしまえばいてもいなくても変わらない存在だ。

 

すべての人に好かれようとする強欲な考えに取りつかれて自分の意志を失った。

 

極論、何をしたって相手を喜ばせられるし、何をしたって相手を傷つける。

自分を無視して嘘ついていたっていつかは気づくことだったんだろう。自分を知らない薄い人間、面白くない人間だ。

 

もしかしたら、誰からも好かれるためには自己犠牲の精神で死力を尽くすべきなのかもしれないが、それをできる人間なんていないと思う。自分にはまったくもって無理だった。それを目指すだけならいいと思われるかもしれないが、目指した結果、大事な人を悲しませる人間に落ちた。こういう人間は落ちた後が大変だ。大変だった。何も残らず、生きてるだけで大罪のように感じる。

 

なんか自虐の話になってしまって申し訳ない。こんな記事は自分に言い聞かせるようなもので、公開するべきではないのかもしれない。

一つ経験したものとして参考になれば嬉しく思う。

 

自分もこのことについてはだいぶ考えた。これも正解とは思えないが、少しは自分と向き合えたかなと思う。

みんな一人一人が幸せな社会が理想だし、その礎となる人間なんていらない。そんな礎の上に立って幸せだなんて思えない。

迷惑かけてもいい、傷つけても仕方ない。そんなことよりも隣のあの人が悲しむほうがずっとつらい。この考えは自分だけじゃなくほとんどの人が持っている。

そんなことも見えてなかった。

今はかすかに見える気がする。