28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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普通の水準を下げてみる

普通って何だろう?

普通の基準は人によってまちまちだと思う。お金でも考え方でも生活スタイルでも人によって普通の基準は違う。

 

なら一番普通の水準が低い所はどこなのだろうか?

普通なものなんて無いとも言えるので、完全なゼロという所におけるのかもしれないが、ここでは生きているということだけが普通という所に置いてみようと思う。

生きていることも普通じゃないとも考えられるのかもしれないが、生きていることは普通と思って欲しい。これは自分からのお願い。もし無理だったとしても、生きることだけ頑張って欲しい。もしそれも無理なら自分にできることはしますので、コメントやツイッターでお話ししていただけると幸いです。

 

お金持ちの人が破産したみたいな報道を見た時、生活水準は一度上がるとなかなか下がらないという話を聞くことがあるが、これは普通の考え方もそうな気がする。

幸せな生活を送っている人が急に不幸になったりすると、なかなか良かった時代のことを忘れられない。

うつ病などの精神病になったとき、過去にとらわれたり、周りを見てうらやましく思ったりする人は多いだろう。その人にとって昔の病気になる前の生活や、周りにいる人たちの生活が普通なのだと思う。そこに普通があるから、今普通のことが出来ないと思ってしまう。

この普通はなかなか下がらない。今の自分に納得しようとしても普通の水準が下がらない。下がらないんだけど、普通のことが出来ないのだ。これじゃどんどん自暴自棄になってしまう。

いくら出来ないことは仕方がないと思えても、普通に達せれていないという嫌悪感は残ってしまう。このままではずっとしんどいまま生活することになる。社会に戻れても、しんどい気持ちが抜けなければきつい生活が待っている。

 

これが正しいのかわからないが、自分はもう生きる為だけに生きることに決めた。生きるということすら難しくなった時にこれだけ!これだけのために生きようと考えた挙句出した結論だ。

生きる以外はもはや余白。寝れなくてもそれが普通。寝れたら凄い。外出れないのが普通。出れたら凄い。

周りの人を見たり、昔を思い出したりするので、調子がよくなった時、この水準はぶれそうになってしまうことは何度もあったし、こう思えるまで時間は何年もかかったが、今はもう生きる為だけに生きている。

ぶっちゃけた話、普通に考えれば周りから見た自分は、楽しいことなんて何もない人だろう。でも水準が低いから、誰かとお話しできた。買い物に行けただけですごく嬉しくなれる。出来なくて元々だから一個でも出来たら嬉しい。

こんな状態で何かを成し遂げるのは難しいかもしれない。

普通は水準をどんどん上げて、成長して、何かを成し遂げるのがいいとされている。そうやって教育されてきたし、みんなやってる。

自分は一度終わったから、出来てることなのかもしれない。もう終わった、あそこで死んでもおかしくない人生だったから、今はもう、いうなれば引退した後の選手みたいなもんだ。別に何しようがなんだっていい。難しいことや、社会に役に立つようなこと、感謝されるようなことは出来ないかもしれない。だって水準が低いんだ。そんなことは雲の上のことだ。

100mの所でみんな生活してるのに、床にいる人間が何かをしてあげるなんて出来ない。どうしたって手が届かない。

 

いつまでも床で生活するのかは分からない。いつか階段を作るかもしれないし、はしごが下りてくるかもしれない。それを登るかどうかも分からない。

生きていること以外全部もう余白だ。ただ生きて、やるようにやろうとしか今は考えていない。

真っ白い紙だから、どれだけ汚れようが破れようがもう知らない。新しい紙を積み重ねるだけ。真っ白だから、何にもない人間だから。汚れたところで失うものは何もない。ただ一日無駄だったというだけ。今日の一日の紙には何が書けるか、書けた瞬間もうそこで幸せが確定する。

そんなんでも別に生活は出来てる。十分だ。だって生きてるもん。普通は達成してる。確かにお金はない、なんか楽しそうなことはしてない。でもそれはそれでいい。

社会にとってはお荷物だろう。全く稼がない、全然消費しない。ただいるだけ。

もうそれでいいよ。

 

もし何かしたいなと思うことがあったら、その余白に書こうと思う。でももうかっちりと文章にしたり、きちんとするのは出来るかわからない。どんなことも余白の落書き程度でいい。

そうやって生活して、やりたいこと、やることは勝手に出てくる。みんな何かしらの理由があって頑張ってるんだ。一度捨てたから何かの頂点に上り詰めるのは出来ないと思うけど、床で生活してると、もうそんな所は遠すぎて見えない。今見える一番高い所は電車に乗れていたり、人ごみに入れる人。そこが今の自分の頂点。

今やりたいことをやればいい。もう周りには追いつけるとかそういう次元じゃない。見えないもん。それでも生きてれば何が起こるかわからない。

 

おすすめはしない。こうなったらずっとここにいるかどうかは、その人次第だけど、最下層まで堕落したものになってしまう。何かしたいことがあって進んでる人に一度スタート地点に戻ろうとはいえるものではない。人に勧めるのは違う。

だけど、楽だよ。こうやって生活してる人もいる。それを知って欲しい。そして、高い水準の普通を持っている、それだけで凄いんだという自信は持って欲しいなって思う。

 

今まで積み上げてきたもの、これを捨てるっていうのは、いままでの自分を否定するようなもの。どれだけ今まで頑張っていたとしても、今まで何もしてなかったとするもの。これは、なかなかしんどいとは思う。プライドも地位も名誉も(あったかは分からないが)いうなれば過去を捨てる。自分は結果主義で過程はあまり気にしなかったから少しはやりやすかったのかもしれないが、それでもきつかった。

でも今残ってる自分だけはいるんだ。頑張ってきた人なら色々と持ってる。目には見えないけど、自分はそれでよかった。

 

よく言えば、しがらみもコンプレックスも無くなった。人生再スタート。

これからどうなっていくのか全く分からない。スタートしたばっかりだもん。今日生きてれば今日のノルマは達成。生きるだけなら今の自分ではできる。

 

ゼロ地点でダラダラ生活してる。これはこれでいい。もし能力があるなら勝手に上るだろうし、死ぬまでここにいるのも、またそれも人生なんだろう。

 

みんな凄いよ。自分から見ればほんとに眩しいくらい凄い。引きずりおろしたいわけじゃないが、どうしてもダメなときは普通の水準を少しでも落としてみて欲しい。

最下層は楽だよ。なんにも出来ないけど。

生きていれば何かある。そういう人生でもいいじゃないか。