頑張るという言葉が良いとされていることへの不安
頑張るという言葉の意味がおかしくなっている気がする。
辞書によると
頑張る
- あることを成し遂げようと、困難に耐えて努力する。
- 自分の意見を強く押し通す。我を張る
- ある場所を占めて、動こうとしない。
とある。ほとんどが1の意味として使われているので、1についてみる。ここで努力という言葉が使われているが、ついでに見てみよう。
努力:心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。
情報提供元「weblio」
こう書いてある。
一見いいことのように思える。良いことなんだから乱用しても悪くないような気がするが、困難に耐えること、骨を折ることは、それ単体では良いことではないと思う。全く同じことが出来るなら、楽にできたほうがいいに決まっている。しかし、どうも耐えること、しんどいこと、つらいことを美とする感覚が蔓延している気がする。
頑張っているということに対して、結果を関係なく評価をすること。これは一概に間違いと言うべきではないのかもしれない。結果が出ていればそれでいいが、苦労して何もできなかったとき、そのすべてを無駄とするのはあまりにも悲しい。次につながりやすくするために、ここで心が折れないために、その苦労を評価をするのは良いのかもしれない。が、だからといって、しんどい思いをしている人がいれば、その人は良いのだとするのは違う。あくまで何かを成し遂げるためという前提条件があってのことだと思う。
「頑張る」この言葉自体が良いとされていることに対しても疑問がある。何かを成し遂げるためということは、他の何でもないその人本人のためだ。確かにその人が成功して、大金を稼げば納税額が上がり、周りによい影響があるかもしれないが、、それは副産物で、そこまで大きいものではない。
本来頑張ろうが、さぼろうが、それは本人にしか影響しないはずだ。もし相手の行動によって自分に何かあった場合も、変えられるのは自分だけということは変えようがない、誰にも相手を直接変える権限は無い。頑張ろうがさぼろうがその人の勝手だ。
しかし、社会にとって、自分にとって、人が頑張ることで恩恵を受けられるから、頑張るという言葉を良いとしているような気がしてならないのだ。
頑張るなとは言わない。やりたいならやればいいし、それに対しては応援したいと思っている。しかし、勘違いしてほしくない。頑張って得られるのは、自分が何かを成し遂げられやすいというものだけだ。
誰かのために苦労を一手に引き受ける。自分がつらい思いをすれば周りを助けられる。それは、相手、周りを助けるということを成し遂げようとしているといえるかもしれないが、すべて主語は自分だ。自分が周りを助けるために苦労する。自分が感謝されるために嫌なことを進んでやる。いくら相手を思っていても、相手の気持ちを直接は動かせず、相手の反応に文句は言えない。
自分のためにやっているはずなのに、見返りはない。頑張ること、苦労すること、これがどんどん当たり前になっている部分もある。これにも文句は言えないのだ。自分のためにやっているのだから。しかし頑張ることがどんどん蔓延し、当たり前になってきていることが不安をさらに掻き立てる。
突き放すようなことを言ってしまったが、ここが怖い所で、当たり前になっていくと、どんどん知らないうちにきつくなってくる。
普通に生活する。これは本来フラットでないといけないのに、頑張ること、苦労することがどんどん当たり前になって、普通に生きるには苦労し続けることになっている。そうやって「頑張る」の意味をどこかで見失い、十分頑張っているのにもっと、もっとと追い込んでしまっている人も少なくないと思う。成果を得られるまでどんどん自分の苦労をつぎ込んでしまうのだ。
人にもよるだろうが、この社会で、いい人になろうとするのはもう限界まで来ているような気がする。自分のためにやっているのだから問題ないというかもしれない。しかし、人間が背負い込めるのには限界がある。そしてその限界を知るときはもう手遅れになっている場合がほとんどだ。
「頑張る」ということは良いこと。かっこいい。そういう風に考えるなと言っても無駄だということは分かっているが、それを純粋に目指せる人間から壊れていく。壊れる前に、壊れないようにと言えば簡単かもしれないが、良い人は自分の負担が見えにくい。周りがいい思いをするならしてしまうのだ。
もう一度頑張るということについて考え直してみよう
頑張るということは、簡単に言ってしまえば、自分の苦労と引き換えに成果を手に入れようとすることだ。
自分の苦労と引き換えだということ。これは忘れて欲しくないし、成果を手に入れようが入れまいがそれは自分にとってでしかないということも忘れて欲しくない。
「頑張る」
これをいい言葉とするのは仕方がなかったとしても、良い言葉である「頑張る」をするために苦労することは出来るだけ避けて欲しい。
いい言葉である理由は成果を上げられやすいという所で、いい言葉となっているということを忘れて欲しくない。決して苦労することがいいことじゃない。
成果がもし上げられなかったときも、周りは頑張ったとほめてくれると思う。それが悪いとは言わないが、それによって勘違いしやすくなっているのもまた事実であると思う。
楽してできるなら楽すればいいし、そんなに成果が欲しくなければ別に頑張らなくてもいい。
自分の苦労というものは無限ではない。「頑張る」という言葉。その言葉の意味をもう一度考えてみて欲しい。そして自分と向き合ってみて欲しい。
頑張りすぎてないですか?