20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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結局俺は何もできない

結局俺は何もできない。口だけ野郎の大馬鹿野郎だ。

 

この前、自分の水準を下げて、もう何もできない所に立って、どんな小さなことでもできれば万歳という記事を書いたばかりだが、実際に目の前で人が苦しんでいるときに、その人に対して何もできない自分を見ると、どうしてもこの考えが浮かんでしまう。

 

ta-bo-50.hatenablog.com

自分に何か力があると思っているわけではない。何かできる人間だと思っているわけでもないのだが、他人がそれによって悲しんでいるとなるとダメだ。

 

自分が何もできないことに関してはもう割り切れたと思っていた。だけど、相手からすれば、それは通用しないと思ってしまう。自分はそこに存在しているのだ。相手からすれば、自分が何もしないということを選択したように見えても仕方がないと思ってしまう。

 

これも自分の勝手な判断だ。勝手に人の心配をして、良い人になろうとして、良い人になれない自分を憐れんでいるだけだ。何もできないのだから、人を助けるなんて出来るわけがない。

主語は自分だ。自分がしんどいのは苦しんでいる人がいるからではない。その人を見た自分。その人に自分が何もできないということに対してだ。何かをしてあげるなんて上から何を考えてるのか。生きているだけの人間になったのに。

だけど、そうはどうしても考えられない。

 

誰かにとって需要のある人間になろうとしている。何かをしてあげれる人間になろうとしている。これは自分のエゴだ。エゴだとは分かっている。誰かのためにと思って自分を正当化しようとしているだけだ。。しかし、それが出来ないという現実を叩きつけられたとき、自分の存在価値を見失ってしまう。

 

多分、自分が存在していることよりも相手が喜ぶ、悲しまないことの方が自分にとって価値があると思っている。

そう思うことが誰かを傷つけることになるのにも関わらず、未だにわがままに生きてる。

 

生きることだけに全力を尽くすと誓ったあの日に、この考えをどうにかしないといけなかった。でも、これだけはどうにもならなかった。人のためなら無理しても大丈夫だ。死ななければいい。そう軽く思っていた。

 

そうじゃないんだ。

思い出した。

思い出したというより、忘れようとしてた現実を突きつけられて、引き出されたという感じだ。

自分はうつ病だ。

無理するとか、頑張るとかではどうにもならないんだ。体が動かないんだ。

 

なんでかは分からない。だけど頭でどれだけ考えられても、体が動かないんだ。

 

水準は下げたんじゃない。下がったんだ。

 

理論武装して、分かったつもりになって、偉そうにベラベラ喋ってたけど、武装の下にはただ生きてることで限界な貧弱な人間がいるだけだ。

別に貧弱でいいんだ。事実なんだから。虚勢を張って無理しなくていいんだ。だけど認めたくなかったのかな。。認められてなかった。

まずそれを納得しないと。何にもできないことから逃げて、目をそらしていたって、自分は自分だ。これだけは変えられないんだ。

 

 

 

うつ病になったとき、それまでは全く思っていなかったのに、何甘えてるんだと自分を責め続けていた。寝れない。食べれない。起きれない。頭ではしようと思っていても何もできない。

うつ病は甘えじゃない。そんなことは分かっていたつもりだった。

でも自分にはあてはめられなかった。想像より数倍、数十倍、数百倍しんどかったのに。

 

原因は神経の伝達物質が減少しているかららしいのだが、自分では分からなかった。

右腕を上げようとすれば右腕が上がる。そんなことは当たり前で、考えたこともなかった。だけどそれが出来なかった。

認めたくなかったのかな。あの日から自分は苦しんでいたはずなのに、向き合えていなかった。

頭の中で向き合った気になって、考えた気になってたけど、そこに自分はいなかった。

時間がたって、少し動けるようになって、薬をもらったり、カウンセリングを受けたり、色々する中で、少しずつできるようになっていったから、見なくていいと思ったのかな。

 

あの日から自分はずっとそこに立っている。

 

ずっと何にもできないままだ。

 

それでいいんだと認められるまで動けない。

 

置き去りにされて、自分にすら見捨てられて、そこに立ってることしかできなかったんだろう。

 

ごめんな