28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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極論を言うと「良い」とか「悪い」っていうものは存在しないんじゃないか

犯罪はダメです。悪いことです。そういうルールの下自分たちは権利を与えられているだけなので、してはいけません。

最初にこれだけは前置きしておきます。

もしこれを読んで何かしてしまった場合も一切の責任は負えませんので、そこだけは勘違い無いようお願いします。

 

 

 

よく、良いとか悪いとか言われてるし、自分も言っている。だから無責任な話になるのだが、どうもこれらは個人の感想であって、絶対的に「良い」とか「悪い」ということは存在しないと思ってしまう。

 

最初に大前提として犯罪は悪い。と書いたが、これも国民の多くがこれは悪いと思っていることがあって、その国民が投票したもので形成された国会という立法機関が作った社会を円滑に進めるためのルールでしかないといえばそれまでで、その法律がいいとか悪いとか言われると、分からないと思う。

現に、過去にあった治安維持法ニュルンベルク法をみても、当時は法律としてあったが、今となってはそれを守るのがいいかと言われるとそうは言えないと思う。

別に今ある法律に文句があるわけでも無いし、未来から見てひどいと思われると思っているわけじゃない。ただ「良い」かどうかは分からないという意見もあると思うというだけだ。

繰り返しになるが、良かろうが悪かろうが法律を破ってはダメです。

 

ちょっと難しい話になってしまったが、法律はいったん置いといて、この社会に良いとか悪いことって存在するのだろうか?

 

周りが喜んだら良いこと。周りが悲しんだら悪いこと。結果論では言えそうな気もする人もいるかもしれないが、どこで区切って判断するのかというものもない。その時は嬉しかったけど、後々嫌だと思うことなんてこの世にはあふれるほどある。

小さな親切大きなお世話

かわいい子には旅させよ

という言葉もある。何かをするということが、主語の意思と思うようにはいかないと思う人が少なくない数いるという証拠じゃないんだろうか。

 

ほとんどの人が良いことをしたいと思っていると思う。それが周りのためだったり、自分ためだったり、理由は様々だとは思うが。

だが、良いことというものは、多くの人がそう思っている、周りがそう思っている、自分がそう思っているなどの「良いと思っていること」に過ぎないのではないだろうか。

 

こんなことをずっと考えていると、何にもできなくなる。良いことなんて存在しないからだ。何をしようと相手がどう思うかなんてわからないし、良いことをしたつもりが、凄い悪いことを引き出してしまう可能性は捨てられないからだ。

 

そこで

やらない善よりやる偽善という言葉が生まれたのかと思う。

うだうだ考えてても何にも出来ないんだ。だから例え偽善であったとしても良いと思ったこと、思うことをやったほうがいいという考え方だ。

自分はこの言葉は凄い怖い。思考放棄しているし、悪用される可能性も大きい考え方だ。それこそ「やらない善よりやる偽善」という言葉を良い言葉とするのはおかしいと思う。

 

 なら、やる偽善よりやらない善かと言われると、そういうわけでもないと思う。結局何が言いたいのか分からない文章だとは思うが、自分の意見としては良いとか悪いとか、そもそも存在しないのではないかということだ。

 

ある一定の地点から見れば良い、悪いはあると思う。しかし、それがいつまでも変わらないとはどうしても思えない。

 

じゃあどうすればいいのか。ということになってくるとは思うが、自分の考えとしては、行動を起こすという基準を「良いことだから」ということに持っていかないほうがいいような気がする。ということだ。

 

自分がそれがいい、それが正解だと思えばやっていい。どんな事だろうと、犯罪でなければやっていいと思う。だけど、それは良いことなんだと妄信してしまうと、後で非常につらい目にあってしまう。

 

何をするにしても、誰かに何かしらの影響を与えるし、何より自分の時間、体力を使う。そして自分の考えにそれは非常に作用する。

しかしそれは「自分が○○をした」ということなだけで、正解だろうが、間違いだろうが関係ないことだと思う。

 

問題は納得できるかどうかで、もしそれが悪いことであったとしても、納得できる必要があると思う。どれだけ反省しようが、過去にそれをしたことは変わらないし、自分が正しいと思って行動したことなので仕方ないのだが、この「納得」という所が非常に難しいように自分は思う。

 

自分は物事をする前に非常に考えるタイプで、今まで間違ったこともしてきたが、きちんと考えてやってきたつもりだったし、納得できていると思っていた。

しかしながら、どこか自分の中の良いとか悪いという基準をどこかで考えて、そこにすがっていた部分もあったと、振り返ってみて思う。

 

世間的にみて、自分はうつ病になるまで悪い人間ではなかった。これでもかっていうくらい順風満々で、友達もたくさんいて、非常に楽しかった。

自信もあったし、自分の人生に満足していたと思っていた。現役で医学部に入り、部活も楽しくやり、学校の人気者で、悩みもなかった。今うつ病であるとか関係なしに、お前はうつ病とかにはならんやろなって言われていた。自分でもそう思っていた。

でも、自分は今うつ病で、もう8年にもなる。

何かが間違ていたとかは思わないし、何かされたわけでもない。でも、間違っていたのかもしれない。

 

正解だと思っていた。多分今考えても正解と思うような行動のどこかに、間違いがあったのかもしれない。もしかしたら正解を選び続けているのかもしれない。

しかし、今、自分は周りに迷惑をかけている。

周りに喜ばれよう、周りのためだけを考え、自分の意思を無くすほど周りのために生きてきた人間が、周りに迷惑をかけて生きている。

 

人生は難しい。社会も難しい。何がいいのか悪いのか、分からないから無いということに逃げているだけなのかもしれない。だけどいいと思ってやってきた事が違ったのだと心の底から納得できないと自分はここから抜け出すことすら出来ないように感じる。

 

皆さんはホントにいい人だと思うし、悪いなんて言いたくない。

だけど一番は自分の苦しみを誰にも味わってもらいたくない。

壁に当たったことのない人、挫折しなかった人は脆いなんて言われることもあるが、良い人間ほど、悪いとなった時のショックの大きさは大きいのは凄くよくわかる。

 

そもそも良いことなんてない。悪いことなんてないと思って生きたほうが、人生を進みやすい、うまく進める。そのほうがあっているような気がして、こうやって文章にさせていただきました。

 

良い側にいたい。その気持ちは凄くよくわかる。でもその気持ちは非常に怖い気がする。この考え方自体が正解だとも思わないが、一つの考えとしてはあるのかとは思う。