20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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生きられるから生きている。ただそれだけ。

生きられるから生きている。ただそれだけだ。

タイトルで終わってしまうような話だが、本当にただそれだけだ。

 

自分は死ぬことに関しては全く怖くない。むしろ死にたいと今でも思っている。うつ病になって8年、ほぼ途切れたことも無い、唯一思い続けていることかもしれない。

 

ただ、自分が死ぬことで周りを悲しませる。それの方が嫌だったというだけだ。自分がどんな思いをしようと自分にはほとんど響かない。本当にしんどい。つらい。この上は多分ないと、今までずっと自分の考えに疑問を投げかけ、反対の意見を探し、間違っていると考え続けた自分が、8年たってもこの上はないんじゃないかと考えるほどだから、ほとんどそうなんだと思う。

だけど自分のことから一歩離れると、すぐに上がある。たった一日、一時間、1分だっとしても、誰かが悲しむくらいならやりたくない。

だから今自分は生きている。

 

確かに、普通に生きていても絶対に何かしらの迷惑はかける。どれだけ外界と絶って生きようとも本当に一人で生きていくことは出来ないから。誰かと共に生きるということは、良い影響も与えるし、悪い影響も与える。これは絶対だ。どれだけ聖人でも悪人でも、どちらかだけということは無いと思う。

だけど、死んだらもう何もできない。取り返すことも、誤解を解くことも、謝ることも。最後だからだ。最後の最後で自分のしたいことのために、自分から周りを困らせて終わるということは自分には出来ない。本当に最後の時、自分が周りにいい影響を与えて終われる自信は無いし、問題を先送りしたいだけなのかもしれないが。

 

だから自分は生きている。それだけかもしれない。

 

 

うつ病などで働かない。自分の力でで生きていけない。助けられて生きていると思うと、要らない人間。迷惑な人間だと思う人はいると思う。

もっと貧しくて、大変で、辛くて、厳しくて、それでも頑張っている人はいっぱいいるし、何もしないなんて甘えている。頑張っていないだけって思う人もいるだろう。

何よりも自分がそう思ってしまっている。他の人に対して何かを言うほどえらい人間ではないし、他人のつらさなんて自分には分からないので、何も言いたいことはないが、少なくとも自分自身に対してはそう思ってしまう。

 

どれだけつらい思いをしようと、励ましの言葉や、そんなことはないと言われても、そうでは無いんだと、どれだけ考えようとしようとしてみても、どこかでそう考えてしまう。

 

だけど、よくよく考えてみれば、自分は生きられるから生きているだけだと思う。本当にただそれだけなんだと思う。

 

親が自分に対して嫌な印象を持っていたり、周りの人間に嫌われていたり、死ぬことに対して否定的な感情が少なければ、多分死んでたんだと思う。

どちらがいいかはわからないけど、それだったら多分今生きていないと思う。そして、なんだかそれでいいというような気持ちにもなっている。

こういうと悲しい気持ちになってくれる人もいるかもしれない。でもそういう人がもしいれば、自分は生きているだろうし、難しい感じになってしまっているが、生きているかどうかなんてそう言うものなんじゃないのかなという思いもある。

 

もし貧しかったり、福祉などが充実していると言えない国や地域でも多分同じことだ。甘えようにも甘えられないし、必死になって稼がないといけないだろう。

稼ぐために一生懸命になっていたら自分のことなんて見えない部分も多いだろうし、そもそも、こうやって悩むことも少ないかもしれない。もっと別の大変なことでいっぱいいっぱいで、こんな言ってみれば悠長な悩みなんて言ってられる状況じゃない。

いわば、裕福であるが故のぜいたくな悩みだ。

 

ぜいたくな悩みなんだ。

こう言うと反発はあると思う。うつ病は絶対に甘えなんかではないし、しっかりとした病気だ。やらないんじゃなくて出来ないのだし、こう言うのは嫌だ。

だけど、これは普通の人と、うつ病の人、貧しかったり厳しい状況でそんなことを考えられない人、死ぬことを選んだ人、こういった色々な状況の中から、幸せだったり良いとされるものから順番を付けようとしているということで、この人より頑張ってるとか頑張っていない、この人よりつらいとか幸せとか言っているだけで、実際どうなのかどうかなんて分からないんだ。

 

甘えて生きていようと、厳しく生きようと、成功しようと、失敗しようと、頑張ろうと、怠けようと、お金持ちになろうと、貧乏だろうと、生きていることには変わりないし、どちらが良いかなんて言ってみれば主観みたいなものだ。どれだけ勉強が出来て、スポーツが出来て、出世して、お金持ちになって、人気者になって、どれだけ手に入れても幸せかどうかは分からない。逆もまたそうだ。

言ってしまえば、やりたいから、出来たから勝手に手に入れたでけで、やりたくないから、出来ないからしなかったことに対して、文句をつけることは誰にもできない。

 

甘えられて甘えたいなら甘えればいいし、甘えはダメだと思うなら甘えなければいい。甘えられないなら仕方なくあきらめるしかない。

出来ることはしたいならすればいいし、出来ないことはあきらめるしかない。頑張りたいなら頑張ればいいし、面倒ならやらなきゃいい。

本当に簡単なことなんだと思うし、どこかで分かっていることだと思う。

だけど、どうしても踏ん切りがつかないというか、一般的に見た時により良くなりたいという願望が生まれてしまう。良いというものが曖昧だと分かっていながら。

 

うつ病は不幸。普通に見ればそうだけど、ほんとにそうかは分からないんじゃないかな。脳みそが正常に作用していなかったとしても、出来ないことばかりで家に引きこもることしかできなかったとしても、お金を稼ぐことが出来ず貧しい暮らしになったとしても、楽しいと思えなかったとしても、周りから人がいなくなっても、それは不幸なのかな。

人は死んだらかわいそうなのかな。人の生きる権利を奪うことは重罪と法律で決まっているけど、生きる権利を放棄することは不幸なのかな。

そう思いたいけど、死ぬよりも不幸なことは無いのかな。

 

みんながみんな、ある一定以上の水準で幸せを感じられたら一番いいのかもしれないけど、現状出来ない。その中で死ぬよりも不幸だと思っている人が存在する可能性だっていくらでもあるし、その中でもがき苦しむ人がいることも、死を選ぶ人がいることも簡単に想像できると思う。

それを見ずに、うつ病はかわいそう。自殺した人はかわいそう。こんな病気の人はかわいそう。貧乏でかわいそう。とただ言うだけなのはなんか違う気がしてならない。

 

自分は今、28にもなって2度目の大学生活を送っている。卒業できる自信すらないし、将来働ける気なんて全くしない。親がいなきゃ生きていけないだろうし、甘えていると言われれば完全に甘えていると言っていいと思う。

日本という社会に、親に甘えて他人のおかげで生きている。

 

だけど、生きられるから生きているだけなんだと思う。

甘えているかもしれないし、迷惑をかけているかもしれない。だけどそれでいいのだと思う。甘えることが出来たから甘えることでしか生きていけない自分が生きている。そういう物なんじゃないかなと思う。

 

もし違う環境に生まれれば違うかったかもしれないし、生きていないかもしれない。凄く成功して幸せだと言っているかもしれない。

ただ、今、生きられるから生きているんだ。

 

自分が何かいいことをしてきたのか、運がよかったのか、周りに恵まれたのか、時代に恵まれたのか、なんでかは正直分からないけど、自分は今生きられている。

 

分からないけど、生きることが出来ている。

申し訳ない気持ちがないわけではないし、出来ることが少しでも増えて欲しいという気持ちは確かにある。自分の力で生きていきたいし、ただ生きるということすらもものすごくしんどいけど、生きられている。

確かにいろいろな方の足を引っ張ているけど、無い袖は引っ張れない。

 

なんにせよ、今自分は生きていける状況にいて、生きていくことがいいと思っているから生きている。他の状況の場合はそこにいない自分には分からないが、今の自分は生きていける。

 

自分が生きられることが良いことなのか、良いことではないのか、足を引っ張ってでも、甘えてでも生きていくことが良いのかどうか。これもまた分からないけど、自殺する人間を減らしたいというなら、もっと多くの人にとって、生きられる社会になる必要があるんじゃないかな。

これだけ技術が進んだ現代、それでいいんだという考えが社会にできてくることを望んでいる。