20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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哲学者とうつ病

古代ヨーロッパでは上級階級?貴族?は労働できなかった。それは下々のすることだから。

だから学問を進めたんだろうけど、そこで哲学なんていうものが出てきたというのは非常に面白いことだと思う。

 

中身について触れると非常に長くなってしまうし、自分より詳しい方は山のようにいらっしゃると思うのでここでは触れないが、

労働ができなくて何故生きているのか毎日毎日考え続けていると言った所を切り出せばほとんど今の自分とおんなじなのだ。

 

彼らがうつ病であったかどうかなんて分からないし、多分違うんじゃ無いのかなとは思うが、やっていることはおんなじなのだ。

 

これは凄く面白いことの様な気がする。

彼らは偉人として今でも讃えられ続けているが、彼らは一体なにを残したのだろうか。また、人はなにもすることがないから哲学をするのか、はたまた、苦しい状況になったり理由は様々であろうが、内から溢れ出てくる考えがそうさせるのだろうか?

 

 

哲学に関してはうつ病になってから興味を持ち少し本を読んだり勉強したが、これくらいでは全くと言っていいほど理解したとは言えないと思う。

 

人はなぜ生きているのか。幸せとは何なのか、これだけ長い年月をかけて、多くの学者が研究を続けていて、未だにこれが答えだと言えるものにたどり着けていない学問が他にあるのだろうか。

 

ある人の出した答えのようなもの、考えというものは確かにある。本を読んでいてもそれは感じる。しかしながら、それが答えというよりも考えの一種としてみるような内容だと自分は感じる。

 

 

己がこれだと思えればそれに従って生きるのもまた一つの生き方だし、それはそれで幸せだと思う。

好きな言葉ではないが、バカの方が幸せに生きれると昔からよく言われたものだ。

その人が幸せなら、幸せなのだ。それでいいのだ。

 

真面目で正義感がが強い人間がうつ病になる。それ自体が本当かどうかも分からないが、よく言われる。もしそれが本当だとしたら、今存在する哲学の答えで人生をよりよくさせられるとは思えない。

 

今も哲学者はたくさんおり、さまざまな考えが存在している。古代から続く哲学に関しても未だに研究され続けている。

 

その考え一つ一つが大事だと自分は思うが、学者でない、学ぼうと思って学んでいるわけでない、死にたい人々、生きる意味を失った人々、幸せが消えた人々、彼ら彼女らの考えはどこにあるのだろうか。

 

 

やっていることは同じ、だが後者は学者でない。だから文献などが残っているわけではないが、ここまで当事者がかかわらない学問は非常に珍しいと思う。

 

かといってうつ病の人間が書くことが出来るのか、残すことが出来るのかと言われれば、それは難しい。

 

考えて答えを出す学問と、考えざるを得なくなっていつの間にか考えてしまっていること。この2つが違うか、はたまた行き着く先は同じなのか。非常に難しいが、すごく気になっている。

 

病気になる前は哲学というものの良さ、意味は分からなかった。今のままでいい人間にとってはそれが普通なのかもしれない。

でも今は興味がある。

そして、出来ることなら、いつか自分なりの考えをまとめてみたいとも思う。

 

哲学者でもなんでもない、ただの役立たずではあるが、面白そうだと思う。

この学問は多分ではあるし、ただの自分の感想ではあるが、

 

人間にとって役に立つ

 

これは間違いないと思う