20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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冷水シャワーを浴びて思うこと・身体のしんどさと心のしんどさ

しんどくてたまらない時、体が動くようになると冷水シャワーを浴びるときが時々ある。体に悪いということは分かっているつもりだし、心臓に負担がかかることも分かっているのだけど、凄くスッキリするんだ。

最初に注意として書くと、危ないことなので、真似はしないで欲しいとは思う。真似をする場合も、もし心臓発作が起きたらなど万全の対策をして、一気にではなくて少しずつ足から徐々にするくらいにして欲しい。

 

自分の体を痛めつけている感覚が気持ちいいのかもしれない。こういうと心配かけてしまいそうで現実では言えないけど、そういう感覚は確かにある。

凄く冷たい。震えあがりそうにもなる。そんなことしなくてはいけない理由なんてどこにもないんだけど、凄くスッキリする。

 

血流が良くなるという理由や、他にも水風呂効果などで調べると出て来るような理由も確かにあるとは思う。

 

だけど、自分にとって一番大きいのは心のしんどさに体のしんどさがリンクする感覚だと感じている。

 

冷水のシャワーを浴びることは、特に冬は、確かに冷たいし、しんどい、辛いんだけど、正直心のしんどさと比べたら屁でもないような辛さだ。うつ病の状態でずっとしんどい思いをするのなら、他にもっとしんどいことが出来て、それに少しでも頭が引っ張られている方が何倍もましだ。

 

何か集中できる、熱中できることがあると、しんどさがまぎれるという話もあるけど、うつ病の状態で何かに熱中、集中するということはなかなか出来ないと思う。

それが出来ないのがこの病気ともいえるくらいだから。

だけど、蛇口を一回ひねれば冷たい水が出る今の世の中で、冷水シャワーを浴びることは簡単で、それを浴びるくらいなら何とか出来る時もある。

 

そうやって他のしんどいことを体にすることで、ただ少しでも忘れていたいのかもしれない。

体にはよくないかもしれないし、最悪死ぬ可能性もあるのでお勧めはしないけど、自分は多分これからも続けるような気がしている。

 

 

冷静に考えてみれば冷水のシャワーを浴び続けることが心のしんどさと比べて屁でもないという表現は驚かれる方もいるかもしれない。

だけど本当にそうだ。

浴び始めは凄く冷たいし、痛い。特に冬場はきついと思うが、慣れてくる分もあるのだろうが、それからはそんなに辛くない。

 

体のしんどさと心のしんどさは比べるものではないし、比べられるものでも無いのかもしれないが、自分は圧倒的にうつ病のしんどさの方がつらいと感じている。

それは8年続いたからという理由でなく、ただ単純に時間を同じにしても、うつ病の方が圧倒的に辛い。

 

 

そこでたまに思うのだが、体のしんどさは心のしんどさにリンクすることが多いように思う。合宿などで猛練習をした時は気持ちもしんどい。受験で勉強を毎日続けていても心もしんどい。

まだある、まだやらないといけないと思うと、逃げたくなることもあると思う。

 

だけどうつ病に関しては、心のしんどさは、体のしんどさがあまり無いことがある。

実際に何にも動いていないので筋肉的にはそうなだけで実際はどうなのか。詳しい所は分からないが、体も動かない時もあれば、体は動くけど、気持ちがしんどい時もある。

 

 

そういった時 、体だけでも動くならいいような気がするのだけれど、心は壊滅的に壊れている。

だから休むべきなんだろうけど、なかなか休むのが負担になってしまう。

 

色々出来るのにしない選択をする。違うのだが、逃げているような、甘えているような感覚に襲われる。

 

何かが出来るから、心がざわついて何かをすることもある。過去に大学受験をした時も、ジムに行ってみた時も、大学で部活に入ったときも、カウンセリングを受けようとした時もそうだ。

 

体は動くから、何が良いのか分からず、良さそうと思ったことは色々試してきた。

一時的には良いものもあったと思うし、長期的に見ても良いものもあったのだろうと思う。

だけど、自分はもう一度心を壊してまた休学し、何もしない生活に戻った。

 

うつ病になった時もそうで、しんどいとか、我慢しているとか、無理している感覚は無かった。

自分にとって普通だと、楽しいと思っていた場所が、実は冷たくて痛くてしんどい場所だったのかもしれない。だけど、全く気が付かなかった。そしてぶっ壊れてしまった。 

 

いつの間にか壊れていて、すべてが終わった。

壊れるまで気が付かなかった。多分悲鳴を上げていただろうにその声を聞く耳は自分にはなかった。

本当にいつの間にかで、噓のように粉々に壊れた。

 

 

気持ちの疲れは見えているようで実際見えていないことが多い。これは大丈夫だろうと簡単なことをしているだけでも、その後とてつもない苦しみを味わったことはもう数えきれないくらいある。

 

 

見えない疲れだからしんどい。怖い。その点、冷たいだけのしんどさなんて自分にとっては原因も分かるし、対処の仕様もあるしで、何よりしんどさが目に見える感じがして楽に感じてしまうのかもしれない。

 

自分の今の気持ちが見えればとも思うが、いくら見えたところで勘違いはこれからも生まれるだろうなとは思う。

 

なにせうつ病になるまでは幸せだったから。

悩みも何もない、ある程度の成功もして、ただただ楽しい人生だと思っていた自分が、うつ病になった。

 

どこかで無理をしていたのだとは思うが、後付けでしか理由は分からない。

 

ひどく脱線したような記事だとは思うが、皆さんもどこかで立ち止まり、自分を見直してみることをしてもらえたらと思う。いくら見つめても気づけないことの方が多いかもしれないが、一人でも少しでも気づけて、良い人生になってくれたら嬉しく思う。

 

うつ病はつらいから。

みんなには出来るだけ味わってほしくないから。

 

見えない疲れで壊れてしまう前に。