28歳うつ病大学生の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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自分から助けを求めないとどうにもならないと言う構造

うつ病になって、はや8年。9年目に突入している。

 

様々な人に助けられ、今もまだ生きられている。

 

治ったとは全くいえない状態で、未だに療養中であるが、本当にたくさんの人に助けていただいた。

感謝しかない。本当にありがとう。そして本当に申し訳ない。

 

本来謝らなくていい、謝ってはいけないのだろう。そう何度も言われた。謝らないでと。

だけど、それは俺には無理かもしれない。少なくとも今の俺には無理だ。

 

ここで少し話題にしたいのが、

自慢をしたいわけではないが、本当にたくさんの方に助けていただいたが、それは自分から動いたことによるリターンであることである事がほとんどだという事。

俺はこんなに頑張ったと言いたいわけでは決してない。

 

たまたま運よく出来ただけだ。そして周りに恵まれた。感謝してもしきれない。

そして、俺が生きるために多くの人に手間を取らせ、足を引っ張った。

これを謝らないで、それが普通だからというのはどうしても俺には無理があるように思う。

確かに、自分が周りを助ける時嫌な気持ちになるわけでも、足を引っ張られた気持ちになるわけでもなく、むしろ心地いいのだが、そう自分で思うからと、助けてもらうことを相手にとってもいい事なのだと思うことは、傲慢な気がしてならないのだ。

 

うつ病になって助けを求める。そこにはいろいろな方法があるようにも見える。

病院に行く

カウンセリングに行く

命の電話にかかる

家族に相談

友達に相談

SNSに書き込む

etc…

 

書きだせばいくらでもあるとは思うが、これらが出来る人間というのはどれくらいいるのだろうか。

 

また、自分が何もできない、生きていて価値がない、と思っている人間がこのように誰かに作用することを自らの力で出来るのであろうか。

 

これらはすべて相手が在って出来る事であり、これらをするのには多大なエネルギーがいる。考えてしまうことも数多く存在する。

その時は出来たとしても、後から来る後悔の念などは計り知れない。

 

ベットから出ることすら出来ない。声を出すことが出来ない状態の人だって少なくない人数いるのに、これらを求めるのは酷だ。

 

 

誰がなるか分からない。今の社会でも百万人以上いると言われているこの病気に関して、その人たちが生きていける構造がこの社会には無い。

 

ただ死ぬなという言葉を盲目に信じ続けて、奇跡的に治る、戻るというという時まで我慢し続けるしかない。

 

確かに有名人で、うつ病からの克服を果たした凄い方々はたくさんいる。

しかしそれは、病前に素晴らしい功績を残し、戻る土壌が出来ている、助けられる構造が出来ているほんの一握りの方々ではないだろうか。

 

何もせずとも、どんな状態であれ生き続けることが出来る構造、それはただの理想郷なのかもしれない。

だけどそれを目指さなければ、実現は出来ない。

 

そこまでして生きていく価値が俺にあるのかと言われれば、俺は無いと言ってしまう。

だけど、そうやって亡くなってしまう方がいるという事が悲しくてならない。

 

 

非常に難しいことだ。

今の時代保険や保証などもすべて申告制であり、元気に楽しく生きながら様々なことを学んでいる人であっても忘れることはある。

そういった当たり前の構造を変えることで様々な不具合が出て来るとは思う。

 

 

だから仕方がないとは言わない。言いたくない。

だけど、今の社会で助けられるという事は容易ではないという事。それによって人生が終わってしまう人が非常に多くいるという事。

そういう社会構造の下生きているのだという事を無視しないで欲しい。

 

「なんで?」とか「まだまだ人生これからなのに」とか「生きていればとか」とか、こういったことをきちっと認識したうえで言って欲しい。

 

助けるという事、助けられるという事の意味を、もう一度考える必要があるようにも思う。