20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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ネットコミュ障・ネット人見知りという性格

自分はネットコミュ障だ。ネット人見知りと言った方が良いのかもしれない。

 

ブログやTwitterなどで書き込んでいただけたことに関しては普通に返せるが、読んだブログに関してコメントしたり、いいなと思ったツイートにリプライを返すことはなかなかハードルが高い。

 

凄く書きたい気持ちはある。

だけど、いざ書こうとすると、怖いのか逃げてるのか、書いて送信ボタンを押すことが出来ない。

 

普段、リアルではどうなのかと言われると、人見知りではないとは言えないとは思うが、何かを言ったり伝えたりは割と出来るほうだとは思う。

今はうつ病になってしまって、自制している部分もあるし、やっぱり途中でだめになることが怖くて控えめというか、全く行っていないが、出来ないことはない。

 

しんどくなってもいいや、と割り切ればまだ何とか話せると思う。

 

だけど、ネット上で、顔も素性も分からないとなると話が変わってくるのか、ただただネットという媒体が怖いのか、出来なくなってしまう。

 

素性や背景も分からず、顔色や声のトーンなども全く見えない中で簡単に書き込めたり、お話し出来たり、コミュニティを形成している人は本当にすごいと思う。

 

リアルでする事よりも物理的には非常に楽な事なのかもしれないが、自分にはそれが分からない。

 

もしかしたら、そもそも背景だったり、顔色だったり、こうやって色々考え過ぎて生きている事、喋る事自体がおかしいのかもしれないが、自分にとっては当たり前のように存在している。

 

「人に迷惑をかけない。」

この考えが大きすぎるのだとも思う。こうやって、どんどん様々な事を制限しながら生きているせいで、出来ないだけなのかもしれないが、なぜか自分の中には当たり前として存在してしまっているので、中々することが出来ない。

そして人それぞれに考え方はあると思うし、自分だけでなく、相手のあることになった時大きく表れる人も多いのだろうと思う。

 

 

文字で会話をする。音声でする。webカメラで行う。対面でする。

コミュニケーションの方法には様々な方法があり、その中でその人に合っている物、あっていない物があると言えば簡単な話ではあるが、何故、それが合うのか合わないのかはその人自身に大きな原因があるような気がする。

 

どちらが良いとか悪いとか言うつもりは一切ない。

そういう事を言うつもりはないが、この原因が以外に、凄く大事なことだと思う。

 

このコロナ禍の状態で、様々な面が浮き彫りになってきたから、考えている分は確かにあるだろうが、人とのコミュニケーションにおいての、心の持ちようと言うのは人によって大きな差があり、無視し続けるのはダメなような気がする。

 

コミュニケーションを取る方法は技術の進歩により非常に多様化し、便利な世の中になったと思う。

自分がネットコミュ障だからこういう都合の良いことを言うような感じがして、書きにくくはあるが、人と話すと言う事、コミュニティを作ると言う事、コミュニケーションを取るという事の考え方について一度考える必要性があるような気がする。

 

うつ病になり、人と会えなく、話せなくなり、ネットでも話すことが難しい自分にとっては非常に強く思う。

 

うつ病でなくても、しんどい時、寂しい時、一人ではどうしようも無い時は誰にでもあると思う。

 

そういった時、これだけ手段が増えた今も一人で戦い続ける、耐え続ける人は想像を遥かに超える人数がいる。

 

コミュニケーション。文字にすると簡単なことのようにも思えるが、中々難しい気がする。