自分は一度医学部に入学させていただいた。
入学させていただいたとはいっても、入試を受けて合格になっただけで、特に特別な何かをしていただいていたわけでもないので、させていただいたという表現はおかしいのかもしれないし、使うべきでは無いのかもしれないが、医学部に入学はした。
しかしながら、2年生の時にうつ病になり、結果中退という形に終わった。
医者になれなかった事。それは仕方がないというか、諦めというか、自分には出来過ぎたことだと未練は無い。
でも、医学部に入学したのに医者にならなかったという点については非常に重いトラウマとして心に残り続けている。
医師と言う特殊な業種がそうさせているのだと思う。悪く言いたいのではなく、医者になるためには医師免許が必要で、医学部を卒業する必要がある。
そして、その医学部というのは全国で約100の大学にしかなく、一年間に約一万人しか入学することが出来ない。
だからこそ、社会的地位や収入面で恵まれている分もあり、人気の高い分野でもある。
そして医師にしかできない事という事が世の中には必須な分野として存在しており、重要性は多くの人が認識していることであると思う。
本来、医師免許を取るという事は、その人自身にしか影響はなく、その人が医師として働けるかどうかであり、働くかどうかも自由であるのだが、医師が足りないという事が存在している。
専門性も高く、命に直接関わる仕事であるのですぐに人数も増やせるものではないし、足りないという部分は仕方がないとは思う。
一般的にはそういう解釈で何の問題も無いと思うが、数少ない一枠に入れていただいて、卒業できず、こうやって何の社会の役にも立たないまま生きている身としてはどうもそう考えられない節がどうしてもある。
もし自分が医師になっていたら、医師不足が解消するのかと言われればそんなことは無いのは分かっている。
だけど、このコロナ禍の中医師が足りずに入院できずに亡くなってしまった方、医療ドラマやドキュメンタリーで亡くなってしまった方を見るとどうしても、もし自分が医師になれていたら、直接その人を治せなかったとしても、少しは医師側の負担を減らせたかもしれないと思ってしまう。
自分の力を過信してしまっているのではないか。職業は自由であって、医師免許を取ったからと言って医師として働かなくてはならないことも無く、一人にのしかかる責任はそこまで多きものではないのではないか。
こういったことは非常によく分かっているつもりだし、自分一人で何かを変えられたとは思っていない。
でも、医学部をやめたという自責の念が存在しているため、こういったことまで大きくして考えてしまうのだと思う。
今でも医療物のドラマや映画などは見れない。目に入っただけでも激しい動悸と頭痛に襲われてしまう。医師不足、医療崩壊などのニュースを目にしただけでも厳しい。
世の中の役に立つと言えば、すべての業種がそうで、資本主義経済の下お金が発生しているという事は、誰かが必要としていて、誰かの役に立っているという事であると思う。
だから、今からでも、社会の役に立つことはいくらでも可能だ。
医者だけを特別視せず、そう考えて、少しでも社会の役に立ちたいと思っているが、現在も自分はうつ病で、中々出来ない。
そして、そういった自責の念や、トラウマによりさらにうつ病をこじらせ、遠ざかっているようにも思える。
このトラウマを解消する。それ自体は出来なさ過ぎて半分あきらめてはいる。
だけど、少しは社会の役に立ちたいという気持ちは捨てきれない。
悪い考えでは無いのかもしれないが、そういったことがさらに社会から遠ざけ、役に立ちたいと思えば思うほど、足を引っ張ってしまっている。
皮肉な話だ。
こうやって書いてきて、おかしくはなるが、役に立つ人間になりたい。医師にはなれなかった。直接病気を治すものにはなれなかったけど、出来る事をしたい。
それが、自分をさらに傷つける結果になったとしてもかまわないと思ってしまう。
それが唯一の夢で捨てられない。
そうやって一生うつ病から抜け出せずに足を引っ張ったまま一生を終えるかもしれない。
捨てられないけど、捨てないといけない。
どうすればいいのだろう。