うつ病たーぼーの頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わった今思うこと

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精神状態が悪い状態で追い込まれた場合

はじめに、自分はうつ病です。そして今、調子はまあまあ悪い状態。

もう一つ挙げるなら、自分は昔、いわば受験戦士と言われるような人間であって、集中するのは得意というか、テストとなると、今はやりの言葉で言うと全集中出来る人間だと思う。

自分のことをダラダラ書きたい記事ではないので簡単に書くと、高校の時体育会系のそこそこ忙しい部活に入り、それでいて医学部を目指していたのもあってそういう体になった。ミスは絶対許されないし、自分の力を100%出せないと受からないから、普段からプレッシャーをかけ続けてたらこんな体になってた。

 

これ自体が悪いとは思わないし、そのおかげでうつ病になったため辞めてしまったけど、医学部に入学できたし、今公立大学にいられるのもこの体質のおかげだと思う。

 

 

自分の過去はここではどうでもよくて、自分はこの二つを持っていて、それでいてテストを受けるという体験を今日したので、その感想を書きたいと思った。

 

今までは調子がいい時しかなかった。2度目の受験の時、初めての休学をする前は調子が良かったし、2度目の休学の時はテストまで持たずに休んでしまったから、初めて調子が悪い状態でテストを受けることになった。

 

驚いたのは、集中は出来るということだ。今家で課題をしたり、授業を受けたり、何かをするときは凄い準備がいるし、集中なんて出来なかった。ダラダラと何とか耐えるような形で授業や課題をこなしてきた。

正直テストも耐えるような形であんまり集中することなくふわっと終わると思っていた。

 

だけど、思春期にできた体というか、習慣というか、これは凄く怖いもので、テストってなっただけでスイッチが入った。

だからと言って凄い集中できたわけじゃない。ほとんどパニックのような精神状態になりながら、でも今の自分の持っていける集中力は全部テストに持っていけたような気がする。高校時代を100とするなら1くらいの集中力だけど、普段は頑張ろうとしてもほとんど0なので、それが驚きだった。

 

ここで悲しかったのは、その時はそんなこと考えている暇も隙も無かったけど、どれだけ頑張れても1くらいの集中力しか今の自分にはないことだ。分かっていたけど、これは悲しかった。

 

もう一つ、今回書きたくなったのはこれが主な原因だけど、その1レベルの集中力であったとしても、自分自身のメンタルというか、心は限界だった。パニックになっていることが分かるレベルでドキドキしていた。

 

手汗も普通の汗も半端じゃなかった。真冬でしかも換気している為、凄い寒かったけど、80分汗が止まることはなかった。頭は確かに問題に向けられていたと思うけど、正直考えられているとは思えないくらいいっぱいいっぱいだった。多分集中力1でさえ今の自分にとっては限界をはるかに超えていたのだと思う。

出来たかどうかも分からない。ゆっくり振り返った今も、どんな問題だったか、どんな回答したか、ほとんど覚えていない。

終わった後外に出て、すぐに車に向かった。

運転席で放心状態で2時間ほど過ごした。

 

別に命が危なかったわけじゃないし、凄いことが起こったわけじゃない。ただ一つのテストを受けただけだけど、気持ち的には限界を超えていた。

 

 

別に追い込まれていたわけじゃないし、テストは事前に分かっていて、数日前から気持ちの整理をしていた。だけど、自分の過去から、ミスは出来ない。力を100%出さないといけないという習慣が、強迫観念に近いような感じになっていたのかもしれない。

気持ちは完全に追い込まれていたと思う。

 

そうやって追い込まれたら、うつ病の人間はどうなるのか、今の自分はどうなるのか、これに対して昔、少し興味を持っていたこともあって、帰ってきてから少し考えてしまった。

 

答えが別に出たわけではないけど、多分、自分はこれをしないと死ぬってなったとしても、出来ないと思う。

死に対して恐怖心がないが、そういう事ではなく、物理的に出来ないということに気づけたような気がした。

 

元々うつ病に対して、甘えている、本当は出来る、などと思っていたわけじゃないし、信じられていなかったわけじゃない。

だけど、誰よりも自分が自分の病気に対して懐疑的な気持ちをどこか捨てられていなかったというのは確かにあると思う。

 

出来ない経験も、苦しみも8年も続けてきたにもかかわらず、出来る限りの知識も入れてきたにもかかわらず、どこか完全に捨てきれていない部分はある。どれだけそんなことはないと思おうとしても完全に捨て去ることがどうしてもできない。

 

今回で完全に捨てられたわけじゃない。だけど、また一つ経験としてできたのは凄い良かったような気がしている。

凄く危ないような気もしたし、うつとか関係なく、これだけ心臓が動いて大丈夫じゃないだろって思うくらい体にも影響はあった。

 

だけど、自分は本当に出来ないんだ、ということを改めて実感した。

追い込まれたとしても出来ない。みんながみんなそうなのかどうかは分からないけど、甘えじゃないと思える一つの要素になるような気がしている。

 

当たり前なんだけど、本当に甘えじゃない。分かっていたけど、さらに分かれた一日になった。

生きられるから生きている。ただそれだけ。

生きられるから生きている。ただそれだけだ。

タイトルで終わってしまうような話だが、本当にただそれだけだ。

 

自分は死ぬことに関しては全く怖くない。むしろ死にたいと今でも思っている。うつ病になって8年、ほぼ途切れたことも無い、唯一思い続けていることかもしれない。

 

ただ、自分が死ぬことで周りを悲しませる。それの方が嫌だったというだけだ。自分がどんな思いをしようと自分にはほとんど響かない。本当にしんどい。つらい。この上は多分ないと、今までずっと自分の考えに疑問を投げかけ、反対の意見を探し、間違っていると考え続けた自分が、8年たってもこの上はないんじゃないかと考えるほどだから、ほとんどそうなんだと思う。

だけど自分のことから一歩離れると、すぐに上がある。たった一日、一時間、1分だっとしても、誰かが悲しむくらいならやりたくない。

だから今自分は生きている。

 

確かに、普通に生きていても絶対に何かしらの迷惑はかける。どれだけ外界と絶って生きようとも本当に一人で生きていくことは出来ないから。誰かと共に生きるということは、良い影響も与えるし、悪い影響も与える。これは絶対だ。どれだけ聖人でも悪人でも、どちらかだけということは無いと思う。

だけど、死んだらもう何もできない。取り返すことも、誤解を解くことも、謝ることも。最後だからだ。最後の最後で自分のしたいことのために、自分から周りを困らせて終わるということは自分には出来ない。本当に最後の時、自分が周りにいい影響を与えて終われる自信は無いし、問題を先送りしたいだけなのかもしれないが。

 

だから自分は生きている。それだけかもしれない。

 

 

うつ病などで働かない。自分の力でで生きていけない。助けられて生きていると思うと、要らない人間。迷惑な人間だと思う人はいると思う。

もっと貧しくて、大変で、辛くて、厳しくて、それでも頑張っている人はいっぱいいるし、何もしないなんて甘えている。頑張っていないだけって思う人もいるだろう。

何よりも自分がそう思ってしまっている。他の人に対して何かを言うほどえらい人間ではないし、他人のつらさなんて自分には分からないので、何も言いたいことはないが、少なくとも自分自身に対してはそう思ってしまう。

 

どれだけつらい思いをしようと、励ましの言葉や、そんなことはないと言われても、そうでは無いんだと、どれだけ考えようとしようとしてみても、どこかでそう考えてしまう。

 

だけど、よくよく考えてみれば、自分は生きられるから生きているだけだと思う。本当にただそれだけなんだと思う。

 

親が自分に対して嫌な印象を持っていたり、周りの人間に嫌われていたり、死ぬことに対して否定的な感情が少なければ、多分死んでたんだと思う。

どちらがいいかはわからないけど、それだったら多分今生きていないと思う。そして、なんだかそれでいいというような気持ちにもなっている。

こういうと悲しい気持ちになってくれる人もいるかもしれない。でもそういう人がもしいれば、自分は生きているだろうし、難しい感じになってしまっているが、生きているかどうかなんてそう言うものなんじゃないのかなという思いもある。

 

もし貧しかったり、福祉などが充実していると言えない国や地域でも多分同じことだ。甘えようにも甘えられないし、必死になって稼がないといけないだろう。

稼ぐために一生懸命になっていたら自分のことなんて見えない部分も多いだろうし、そもそも、こうやって悩むことも少ないかもしれない。もっと別の大変なことでいっぱいいっぱいで、こんな言ってみれば悠長な悩みなんて言ってられる状況じゃない。

いわば、裕福であるが故のぜいたくな悩みだ。

 

ぜいたくな悩みなんだ。

こう言うと反発はあると思う。うつ病は絶対に甘えなんかではないし、しっかりとした病気だ。やらないんじゃなくて出来ないのだし、こう言うのは嫌だ。

だけど、これは普通の人と、うつ病の人、貧しかったり厳しい状況でそんなことを考えられない人、死ぬことを選んだ人、こういった色々な状況の中から、幸せだったり良いとされるものから順番を付けようとしているということで、この人より頑張ってるとか頑張っていない、この人よりつらいとか幸せとか言っているだけで、実際どうなのかどうかなんて分からないんだ。

 

甘えて生きていようと、厳しく生きようと、成功しようと、失敗しようと、頑張ろうと、怠けようと、お金持ちになろうと、貧乏だろうと、生きていることには変わりないし、どちらが良いかなんて言ってみれば主観みたいなものだ。どれだけ勉強が出来て、スポーツが出来て、出世して、お金持ちになって、人気者になって、どれだけ手に入れても幸せかどうかは分からない。逆もまたそうだ。

言ってしまえば、やりたいから、出来たから勝手に手に入れたでけで、やりたくないから、出来ないからしなかったことに対して、文句をつけることは誰にもできない。

 

甘えられて甘えたいなら甘えればいいし、甘えはダメだと思うなら甘えなければいい。甘えられないなら仕方なくあきらめるしかない。

出来ることはしたいならすればいいし、出来ないことはあきらめるしかない。頑張りたいなら頑張ればいいし、面倒ならやらなきゃいい。

本当に簡単なことなんだと思うし、どこかで分かっていることだと思う。

だけど、どうしても踏ん切りがつかないというか、一般的に見た時により良くなりたいという願望が生まれてしまう。良いというものが曖昧だと分かっていながら。

 

うつ病は不幸。普通に見ればそうだけど、ほんとにそうかは分からないんじゃないかな。脳みそが正常に作用していなかったとしても、出来ないことばかりで家に引きこもることしかできなかったとしても、お金を稼ぐことが出来ず貧しい暮らしになったとしても、楽しいと思えなかったとしても、周りから人がいなくなっても、それは不幸なのかな。

人は死んだらかわいそうなのかな。人の生きる権利を奪うことは重罪と法律で決まっているけど、生きる権利を放棄することは不幸なのかな。

そう思いたいけど、死ぬよりも不幸なことは無いのかな。

 

みんながみんな、ある一定以上の水準で幸せを感じられたら一番いいのかもしれないけど、現状出来ない。その中で死ぬよりも不幸だと思っている人が存在する可能性だっていくらでもあるし、その中でもがき苦しむ人がいることも、死を選ぶ人がいることも簡単に想像できると思う。

それを見ずに、うつ病はかわいそう。自殺した人はかわいそう。こんな病気の人はかわいそう。貧乏でかわいそう。とただ言うだけなのはなんか違う気がしてならない。

 

自分は今、28にもなって2度目の大学生活を送っている。卒業できる自信すらないし、将来働ける気なんて全くしない。親がいなきゃ生きていけないだろうし、甘えていると言われれば完全に甘えていると言っていいと思う。

日本という社会に、親に甘えて他人のおかげで生きている。

 

だけど、生きられるから生きているだけなんだと思う。

甘えているかもしれないし、迷惑をかけているかもしれない。だけどそれでいいのだと思う。甘えることが出来たから甘えることでしか生きていけない自分が生きている。そういう物なんじゃないかなと思う。

 

もし違う環境に生まれれば違うかったかもしれないし、生きていないかもしれない。凄く成功して幸せだと言っているかもしれない。

ただ、今、生きられるから生きているんだ。

 

自分が何かいいことをしてきたのか、運がよかったのか、周りに恵まれたのか、時代に恵まれたのか、なんでかは正直分からないけど、自分は今生きられている。

 

分からないけど、生きることが出来ている。

申し訳ない気持ちがないわけではないし、出来ることが少しでも増えて欲しいという気持ちは確かにある。自分の力で生きていきたいし、ただ生きるということすらもものすごくしんどいけど、生きられている。

確かにいろいろな方の足を引っ張ているけど、無い袖は引っ張れない。

 

なんにせよ、今自分は生きていける状況にいて、生きていくことがいいと思っているから生きている。他の状況の場合はそこにいない自分には分からないが、今の自分は生きていける。

 

自分が生きられることが良いことなのか、良いことではないのか、足を引っ張ってでも、甘えてでも生きていくことが良いのかどうか。これもまた分からないけど、自殺する人間を減らしたいというなら、もっと多くの人にとって、生きられる社会になる必要があるんじゃないかな。

これだけ技術が進んだ現代、それでいいんだという考えが社会にできてくることを望んでいる。

2020年を振り返って

2020年、振り返ってみると色々あったような気がするけど、色々は無かった。

 

自分的にはスタートは最悪だった。去年の後期から1年半ぶりに復学して、しかも余裕をもって復学したのに11月には最悪の状態だった。

藁にもすがる思いで学校のカウンセラーに連絡して、それでも学校に通うこともなかなか出来ず、新年を迎えた時も正直あまり覚えていない。ただ4月から休学する旨を伝えなくちゃって、まだまだ先の心配があったのは覚えているが、ほんとに何もせずに過ごしていた。

というか何もできなかったというのが正しいと思う。

 

その頃からコロナの報道があった。ニュースもほとんど見れてなかったので詳しいことは分からなかったが、それどころではなかった。

 

それから何とか学校に連絡して休学した。それぐらいからは楽になってきたような気がする。かといって何かすることがあるわけでもなく、緊急事態宣言や、大学がリモートになっていることなどを他人事のように思っていた。

でもこのリモートに対しては少し希望が湧いたのを覚えている。学校に行くよりもはるかにハードルが低いからだ。これなら戻れるかもしれないと少し希望が持てたのも覚えている。

 

こうやって結局何もしないまま8月まで過ごした。

半分以上終わっているけど、びっくりするぐらい何の思い出も無い。別に記憶喪失になったわけでもないけど、真っ白な8か月だ。

 

この辺りでまた復学しようと考えだした。

調子は良くなかった。いける気もしなかったけど、リモートならってどこか期待していた。そんな軽い気持ちで復学を決めた。カウンセラーの人とも教授とも話して戻りますと言った。

 

そうやって大学に戻ったは良いのだが、リモートというものは思ったものではなかった。冷静に考えてみれば、去年しんどくなった時ベットから出れなかったのだ。パソコンの前に座るだけでも大変だし、そもそも脳が動いていないのに理解することも課題をすることも出来るわけがないのだ。

だけどリモートの良さがあったのか、自分が去年とは違ったのか、今までは何とかなっている。そういう意味ではこの2020年はとてもよかった。

最悪の前半戦から急激に盛り返して勝った気持ちでいる。

 

 

学校以外でも色々なことが出来た。

まずはこのブログだ。自分の気持ちを文字にしてみようと思って結構簡単な気持ちで始めたが、凄くいい経験になった。

昔から何かを書いたりするのも嫌いだったし、ネットに対して非常に強い恐怖心、不信感のあった自分がこんな簡単によく始めたなと今でも思うが、これだけで2020年は良い年だったと思う。

 

文字にすることの難しさや楽しさ、そして何よりも自分と向き合える、自分の頭の中を整理するという意味ですごくいい経験になった。

このブログが誰かのためになっているのか、全然分からない。ネットに上げなくてもテキトーな紙に書いとけばいいんじゃないと言われてしまえばそれまでだけど、この絶妙な緊張感が逆にいい感じが出ていると思う。自分勝手だけど、こんなブログでも読者登録していただいたり、いいねを押していただけるというのはすごく嬉しかった。

 

同じ時期に始めたツイッターもだけどこの一人じゃ無い感は凄く求めていたものだったんじゃないかなと8年目にして気づけた。

そら一人は寂しいし、求めるだろうと思われるけど、いざ人とのつながりというものを持つと考えると、簡単にはいかないんだ。それが及ぼす影響は今の自分には大きすぎるし、簡単に自分が出来ることではなかった。ネットで勝手にこっちが書くことは何とか出来たけど、それに対して誰かが何かしてくれたということで、つながりを持とうとしなくても、向こうから何かしてくれる。これをつながりというのは大げさすぎるのかもしれないけど、それがすごく嬉しかった。

 

2020年振り返ってみればブログを始めたこと、それと一緒にTwitterをやったこと。復学して2/3~3/4ぐらいは何とか授業を受けれたこと。カウンセリングは受けたことは何度かあったが、なんやかんやで1年続けられたこと。世間は非常に大変な状況ではあるが、自分にとっては凄くいい一年になったと思う。

 

リモート授業で関わる人がいないこと。ツイッターやブログで人とのつながりの大事さを感じたこと。色々と勉強する中で居場所というものの大事さなどは分かっていたつもりだったが、それをどちらの意味でも感じた一年だった。

とはいっても正確に言うと8月からの出来事だけだけど笑。

 

ニュースなどもあまり見れていないが、世間のことではコロナのことが大きすぎて他はあまり印象の無い一年だったかな。

それだけ大変なことだと思うし、早い終息を祈って、どこにも行かない。買い物なども極力減らしていることくらいしか自分にできることはないが、本当に大変だったと思う。一人のつらさ、人のぬくもりの大事さ、出来ないということのつらさは人より経験してきたと思うから、凄くそれを感じ続けていた。

 

 

居場所は欲しいが、自分はすぐに動き出せるわけではないし、今は動いてはいけないのでしばらくは家にいると思うが、辛い人はいま世界中にたくさんいると思う。それの方が自分は今気になっている。

 

2021年どういった年になるのか想像もできない。きょう東京で1300人を超えたなどと悪いニュースもあった。つらいことは年内に終わらせたいとは思うけど、現実はそう簡単にも行かないから。自分にできることは出来るだけしたいとは思っているけど、びっくりするぐらい無力な人間で申し訳ない。

 

皆様の2021年が少しでも楽しく、幸せな年であることを心よりお祈り申し上げます。

自分も少しでも楽しく、幸せに過ごせればと思っています。

 

2020年はありがとうございました。

皆様のおかげでいい年を過ごせました。

 

それでは、よいお年を