20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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好かれたいなら嫌われろ

好かれたいなら嫌われろ

嫌われたくないなら好かれるな

 

一度くらいは耳にしたことはありそうな、当たってるような、間違っているような、不思議な言葉のような気がするが、俺は間違ってはいないような気がする。

 

嫌いにもなれないような人を好きになることはないような気もするし、嫌いとわざわざ言うような人のことは、どこかで気になっている証拠のような気もする。

 

ファンが多い人はもれなくアンチがいて、ファンが全くいない人にはアンチもほとんどいない。比率でみれば偏りはあるが、全く嫌われてないけど好かれまくっている人、逆にめちゃくちゃ嫌われているけど全く好かれていない人というのは本当に珍しい。

 

だからと言って、逆算して行動するのはどうかと思うが、考え方の一つとしては成立しているのだろう。

 

自分は嫌いだが、炎上商法や、とりあえず目立つの精神はこういう所から来ていると思えば、好き嫌いを一度置いておけば合理的な考え方のようにも思える。

 

でも、これが正解と言われている間は生きにくい世の中だとは思う。

 

 

自分の考えとしては

俺は嫌われたくない

だから出来る限り、嫌われないように、好かれないように行動しようとしてきたことが多い。そう思って生きてきた。

だけど、どこかで好かれたいのかもしれない。

頭では嫌われないように、即ち、好かれないようにしようとしているつもりではいるが、よく間違いを犯す。

 

頭では分かっていても、そう言う事が良くない、そうすることは悪いと思いながらも間違う。そして鬼の後悔をする。

何をすべきかもわかっていて、そうしたらよくないとも思っていて、間違う。訳が分からないと言えばそれまでだし、頭がおかしいとさえ思う。

 

自分の人生を振り返ると、好かれたくないと言えるほど嫌わる行動をせずに来たのかと言われると、そうは言えない。それくらい間違ってる。

 

嫌われたくないという事は間違いなくある。

環境にも恵まれ、運にも恵まれ、今まであまり嫌われることは少なかったが、嫌われるのは本当に辛い。

 

でも、最近というか、本当はずっと昔からだったような気もするが、誰かに好かれたいという気持ちが少し見えたような気がする。

自分としては少しショックのような、悪い奴になったような嫌な感情ではあるが、本当の自分というか、頭で考えてる自分じゃない自分を少し見れたような気がして、進めたような気もして、悪くもないと思う感情もある。

 

だけど、中々嫌われるように動くという事は難しい。

分かっていても、一度してみるというだけでも、自分にとってはハードルは高い。

好かれたい欲よりも圧倒的に嫌われたくない気持ちの方が大きい。

 

でも、好かれたい気持ちが無い訳じゃない。

だから間違う。

筋の通ってない、訳の分からん人間だ。

 

嫌われたくないけど好かれたい。

ほとんどの人はそう思うと思うが、これは中々難しい。

どうするのが正解なのか、その人自身で納得できる形で生きられれば一番いいのだろうが、今の自分にはそれが全くなく、ただその答えを出すことから永延と逃げているような感じがする。

だから病気にもなるし、どうしていいか訳が分からなくなり、いざ動き出しても間違う面倒くさい人間になってしまっている。

 

ここをどうにかしないと、多分自分のうつ病は治らない。

嫌われてもいいと、嫌われようと、好かれたいと、堂々と言える日が来るのは自分としては今も怖いが、上手く生きようと思えば、こう思う方が良いのかもしれない。

 

つくづく不完全な人間だと思う。