20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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もし自分の生活圏内にうつ病の人がいたら、今まで通りに過ごせますか?

もし家族が、友達が、恋人が、同僚がうつ病になったら、今まで通りに接することが出来るか?

多くの人は難しいのではないかと思う。

そもそも、うつ病の人に対してうつ病でない人と同じように接することが正解なのか、何かしてはいけないことがあるのか、何かすると良いことがあるのかすら曖昧であるので、同じように過ごすことを出来ることが良い事であると、言い切ることも難しいように感じるが、たとえ正解が無くても、多くの人がなりうる病気なので、一度くらい考えてみてもいいような気がする。

そして、少しでも多くの人が考ることはうつ病の社会復帰というものは近づくように思う。

 

 

うつ病は甘えじゃない、しんどい。うつ病の人がいたら、しんどそうな人がいたらこうしてあげて欲しい。うつ病の人にこういう事を言ってはいけない

こういった類のことは社会の中でも溢れるほど存在していると思う。これらが悪いとかではなく、むしろ、うつ病という病気に対する認知を高めるためには凄くありがたい事であるようにも感じる。

しかし、本来はここで終わりではないはずなのだ。

認知度を高め、多くの人がどう接することが良いのか、こういった病気を防ぐためにはどう生きるのが良いのかなど、うつ病に対する対策や、対応を深めることが目的であったはずだ。

しかしながら、こういった情報が世に出てきて、今となっては溢れかえっているとも言えるような状況にもかかわらず、その先に進むことはない。今後そうなっていきそうな予感すら感じない。

いつまでも、うつ病は甘えじゃない。そこで止まっている。それ自身がまだ認められていないという事もあるのだろうが、そこから進む気配すらない。

 

どうしたって、関係のない病気なのだ。

 

理由の一つとして、難しさがあると思う。

正解がないもので、死ぬ可能性もある。付き合っていくとなればほんの一時的にという事は難しく、何年、何十年と付き合わないといけない。

それだけの余裕がある人がたくさんいるとは思えないし、それだけの労力を他人のためにかけられる人間というのは多いとは思えない。

 

もう一つの理由としては、今ある社会の常識や善悪が間違っていたり、真逆であるかもしれないという事を認めることは非常に難しいという事にあると思う。

例えば、「頑張る」という事。

「頑張る」という事に対するイメージはしんどいとか、辛いイメージもあるが、偉い、凄いと言った良いイメージを持つ人が多い。

何かを成し遂げた人がいれば、この人はこんなに頑張ってきたのだと言うし、頑張ればいい結果が来る、または逆に、いい結果を出すために頑張れと言う。

頑張るという言葉の意味に対して、意味のあるなしについて語られたり、内容について触れられることはあるが、前提として頑張ることは良い事とされている。

 

しかしながら、うつ病の人間に対してとなると、真逆になる。

知らなければ嘘みたいな話だが、うつ病の人に対して頑張れと言う事は禁句とされている。

すでにもう限界まで頑張っているからとか、頑張ってきた人で、今は休憩が必要な人だからとか、当事者からしてみれば訳が分からない理論を言う人もいるが、うつ病の人は頑張ってはいけないらしいのだ。

 

迷惑をかけることに対してもそうだ。

人に迷惑をかけるな。

それだけを指示している人間も多いのに、うつ病になると、全然迷惑じゃないから、迷惑かけてもいいのだと言われる。

 

うつ病になると突然、社会が求める生き方が変わる。

死なれたら困る。辛い所から何とか救いたい。という考えから来ているのだろうが、そんなに簡単に人間は変われるものではない。

 

自分はこの病気になって9年、今までの生き方を否定して、必死でその考え方を呑もうとした。かみ砕いて、色々な考え方に触れて、それだけを9年間してきたと言ってもいいくらい考えてきたが、それでもまだ呑み込めない部分がある。

 

どこかやっぱりおかしいのだ。

 

 

うつ病の人間。うつ病というものを社会は受け入れられていない。むしろ排除しようとしていると、不本意だし、そういう風には考えたくはないが、そういう風に考えざるを得ない社会が今存在している。

 

否定したいわけでも、被害者になりたいわけでもない。

自分のことだけを考えるなら、それで仕方がないと自分は思ってしまうのだが、自分以外の苦しんでいる人が存在していることを考えると、胸が詰まる。

しんどさを知っている分(その人のしんどさというものはその人にしか分からないとは思うが)、何もせずに生きていくことが難しい。

 

 

今の社会にとって、難しい問題であることは理解しているつもりだし、簡単に改善なんて出来ない問題であることは分かっている。

だけど、うつ病がこれだけ認知された今となっても、自分と凄く近い人に対してであっても、その人を今までの自分の世界の中に存在させることすら出来ないというのは、希望を完全に断たれたような気持ちになる。

 

うつ病の人と、そうでない人を区別している。

なってしまった人に対して対応を考える。しんどそうな人がいたら何かをする。

今の当たり前はこうある。色々な講演だったり、研究者の発言でもそう言われているのだ。

これが間違っていると言うの驕っているのかもしれないが、こうやって区別し、うつ病というものを社会の中に入れることを拒否し続ける限り、この病気は社会にとって脅威であり続けると思う。

 

だからと言って、すべての人に頑張るなというのか。人が皆うつ病かもしれないといと思って気を遣って生きることを求めるのか。そう反発する人がほとんどだと思う。

極端だと思われるかもしれないが、自分の考えとしては、そうだ。

うつ病になったから接し方を変える。これでは助からない。

うつ病の人への対応ではなく、社会における人間関係の常識を変えなければ、うつ病は助からない。

間違っていると思われると思う。なんなら自分もそう思う。

もしこうなってしまえば人類としての成長や、国家の成長は鈍化するだろう。

だから、こうなって欲しいとは言わない。

だけど、こういったことから目を背けて、助けたいとか、助けようとしていると勘違いすることは非常に残酷だ。

 

何も変わらず過ごせるという人以外はもう一度考えてみて欲しい。