20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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しんどいの向こう側

体の省エネモードというかブレーカーが落ちたみたいと言うか、しんどくて苦しくて怖くて、それが通常のうつ病の自分にも、怖くない、しんどくない、よく言えばスッキリした時期というのがほんとにたまにだが存在する。

 

初めてこの状態になったのは、一昨年ぐらいだったと思う。発病してから今で8年だから、だいぶ後になってからだ。

今もその状態で、2回目。8年うつ病でいて2回だから珍しいのかもしれない。

人にもよるだろうけど、この状態は怖いような気がする。

 

確かにスッキリしてるのだ。何も怖くない。いつもの焦りや不安、恐怖、それらを感じないから。

だけど怖いのは、それだけじゃなくて、感情というか、思考というか、そういったものの概念を失っているからだ。心が死んでいるとも言えるかもしれない。

こういった状態は、うつ病などの精神疾患のある方はちょっと分かるのかもしれないと思う。そうでなくても、ちょっとサボり癖のあると感じている人だったりすると分かる方は多いのかもしれない。

 

分かってるんだけど、やらなきゃいけないんだけど、簡単なことなんだけど、何となく動けない。そういったボーとしている状態に近い。

寝起きが凄く悪くて、ほとんど覚えていないけど、アラームは止めたのはうっすら覚えているみたいな感じの時の、アラームを止めている時の状態の方が近いかもしれない。

 

自分の体のだけれど、自分の体じゃないみたいな感覚はうつ病の時たびたび現れるが、それの強い感じともいえるかもしれない。

 

他には、テストや宿題を直前まで全然やらなかったのに、直前になって急にやりだしたことがある人は思い出してほしい。ストレスがある一定を超えると人はしんどさや面倒くささを感じなくなることがあると思う。

絶対に直前が一番ストレスがかかるはずなのにそのストレスが一番大きい時に出来るというのは良く考えるとおかしいのだ。

 

また、テスト前になると急に部屋の掃除を始めたり、今まで面倒だったことを急にやりだすことがあるが、これも一種のストレスから身を守る方法なんだと思う。

本能的に危ないことを知っているのだ。

しかしながら、残念なことにその先。ストレスの大きさのあまり出来なくなってしまうことがある。

その状態が心が壊れてる状態で、うつ病の一種ともいえるし、感情を喪失してしまう。身を守るためのものにも限界はあるらしい。

 

そういったように、自分の体のことがほとんど感じないのだ。

しかし、今こうやってブログを書いているところからも分かる通り、一日中全くできない訳では無いみたいだ。

でも、このブログを書く、それぐらいが精一杯で、課題をしたり、考えたりは出来ない。

そして、早い人なら30分もあれば十分出来るのであろう作業だが、これだけで丸一日以上かかっている。

 

全然出来無い感がある訳でもなく、不安で押しつぶされそうになって途中で休んだりした訳でもなく、ただただすべてが停止しているのか、一日が凄く早い。

 

症状としてはこんな感じだ。

良く分からない説明だし、分かってどうなるというようなものでもない。

 

どういった時になるのか。自分の2つしかない例からの考察なので信頼度は非常に低いが、なったのは2回とも、

課題などのやらないといけないことに追われている事。

体調がちょっと良くなった時に色々してみようとして、やっている間に悪くなり、自分の普通についていけなくなって、大丈夫かなと思いながら何とか耐えていた頃。

 

こういった共通点はある。

どちらも調子で言えば凄く悪い時であった。

もしかすると良い時は怖い、しんどいといった感情も弱いので、気づいてないだけなのかもしれないが、ここまで感覚が無いことはあまりないので、悪い時になるのはあっている気がする。

 

もう一つに関しても、悪い時は基本何もしてこなかった。

だけど、ある程度良くなって、怖さよりも焦りの方が強くなった時に大学受験や登校、また、休学中ならちょっとジムに行ったり、人のいる所を歩いたりなどの事をしてきた訳だが、この二回とも復学中の出来事だ。

一度休学してからの復学となると、在籍年数や単位の問題もあり、そんなに余裕がない。

休学届を出すことすら出来なかった時代も自分にはあったので、そういった意味でも調子が悪ければ休もう、という考え方を邪魔していたのかもしれない。

 

そもそも頑張る理由が社会へ戻るため、病気を治すために進みたいからなのだ。

この頑張りをやめることは頑張る事以上に体力がいるのかもしれない。

 

しんどくなれば絶対、追い込み過ぎたら絶対になるという訳ではないとは思うが、追い込まれるとなる確率は上がるとみていい気がする。

 

 

こういった現象に名前があるのかは分からないが、自分は「しんどいの向こう側」と呼んでいる。

ラソンでのランナーズハイや、きつい運動や大きい試合の時のアドレナリンが出まくって、疲れや痛みが分からない状態があるが、何となく近いような気がする。

 

問題は、体が無理をし過ぎると怪我してしまうと分かっているのだが、心はどうなってしまうのか分からないという点だと思う。

後もう一つあって、走っているとき、運動しているときは明確にやることがある。気持ちが研ぎ澄まされて、より集中できる等メリットが多いが、心がそうなった時、やることなんて無いのだ。あったとしても心がぶっ壊れているので出来ないのだ。

 

確かにスッキリはしているが何もできない。それに、感覚がなくなるのと同時にすべてがもうどうでもよくなる。

 

カウンセラーの方とお話しした時は、防衛本能のようなもので、そういったことはたまにあるらしい。完全に心のキャパをオーバーしているのに、出来る限りやろうとやり続け、また、無理かどうか、しんどいのかどうか、体と違って分かりにくいので、なってしまうようだ。

 

起きているけど、生きてはいるけど、聞こえているけど、見えているけど、自分じゃないみたいな感覚。

しんどくないけど、何もできない状態。

非常に不思議な状態だと思う。

 

これに関しては推測でしかないが、このスッキリ感、もうどうでもいい感が非常に危険な気がする。

考えられないので難しいことは出来ないが、こんな心が完全にぶっ壊れた状態で、すべてがどうでもいい状態だから。

これ以上は言わないが、この状態になった時、こういう時は危ないんだろうなとは感じる。

 

前回の時はそこでまた大学を休み、1年以上休んだ。それで何とか今に至るわけだが、今回は非常に迷う。

本来迷わず休む一択なんだろうけど、前回とは違い、それはもう大学というものを捨てるに近いものがある。そうなるとどうなるのか。進む先、すがる先がまた真っ白になった時、自分はまた乗り越えられるとは思えない。

 

だけど、もしここで続けて、時間経過ではどうにもならないくらい壊れればどうなるのかも分からない。「しんどいの向こう側」の向こう側があるのかどうか。もしあったとしたらどういった状態なのか。

何も分からないし、現状しんどいの手前側でもギリギリの人間が試しに一回行ってみていい場所ではない。

 

現状完全に手詰まりで、全く使えない頭を使おうとして、どうしようか考えている。

考えいるとは言っても、他の人が見ればただボーとしているようにしか見えないし、おそらくボーとしているだけなのだが、頭が使えないとなると、どうしていいか本当に分からない。

 

何とか、どうでもいいと思わないようにするので必死だ。

こうなったらもう、どうしようもない気がする。周りから見ても気づけない可能性も高いし、気づいたとしても、何をしたら良くなるとかは無いのだからどうしようもない。

 

また、こういう感覚が続くとすべてがどうでも良いというよりは、もうどうにもならないという感覚にもなる。どうでも良いと思わないようにした結果、どうにもならないという残念な結論にしかたどり着かないからだ。

これも非常に怖くて、どうしてもこれにあらがおうとしてしまう。

そんなことないのだと、そうしないと生きる意味を失ってしまうから。

 

こうやって考えようとしたり、頭でどうにかしようとすること自体が悪手で、心に悪いのは何となく分かる。だけど、これはどうしたって止まらない。

これも、この状態の悪い所である。

 

前回はホント良く戻ってきたと思う。

なにも違くはないが、今回は卒業できるかもと思ってしまったことによって、邪魔が入ってしまった。

希望とは良い事ばかりではない。分かっていたつもりだが、痛感している。

 

またしんどいの手前に戻ってきたい。感情を取り戻したい。

どうせ戻ってきてもしんどいだけだけど、感じないのは怖い。

そして、向こう側へ行ってしまう人がいなくなるような、壊れるほど頑張ることのないような世界になって欲しい。

 

出来なかったのは頑張らなかったからじゃない。ただ出来なかっただけなのだから。