20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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正解が目に見えるようになることの怖さとやりたい事という事

正解が世の中に溢れている。溢れすぎている。

今までさんざん正解というものは無いと書いてきて、ここにきて矛盾するようなことを書くが、世の中には正解とされているものが非常にたくさんあるような気がする。

 

正解とは言っても、厳密には正解かどうかは分からない。だけど、多くの人が良いと思っているのか、悪いと思っているのか、これを非常に簡単に分かってしまう社会であると思う。

 

これはインターネットの存在が非常に大きい。悪いとかいう話ではなく、非常に便利で、もう無くては社会が成り立たないと思うし、自分自身どれだけ生活を便利にさせていただいているか想像できないくらい役に立っている。ありがたいものだ。

 

しかし、それによって良い事ばかりではないという事にも気づいておく必要があると思う。

 

インターネットのおかげで、非常に膨大なデータに対して誰でも簡単に、手軽にアクセスすることが出来る。ネット上のものはすべて本当とは限らない、気を付けなければいけないなどという事はもはや当たり前で、多くの人が分かっているとは思うが、特に近年SNSなども当たり前に生活の中に入ってきて、それ以前よりも手軽に意見をいう事、賛同する、反対すると言ったことが簡単になった。

 

それによって、こういった考えはおかしい。こういう事をやるべきだという、社会にとって良いとされていることが凄く分かりやすく、簡単に目に入ることになる。

それを逆手にとってあえて悪い事をして目立とうとすることに関しては今回は置いておいて、良いとされている事に関して今回は書きたい。

 

良いとされている事がみんなに知れ渡っていいじゃないか。みんなが真似すればもっと良い社会になるのではないか。

そう思う人も多いと思う。

 

確かにそうかもしれない。

しかしながら、これは全員が完璧な人間であって、ミスをしなければという事が前提にあれば、という事が条件に付くと自分は思うし、現実はそんなはずはなく、危険な部分が存在していると考える。

 

良い事。みんなが凄い!いいね!としている事。確かにそれは良い事、正解なのだろう。それによって悪い思いをしている人がいるかもしれないし、本当はどうかは厳密には分からないかもしれないが、現に多くの人が良いと思っているのだから、今回はこれをもし良い事、正解なのだとしたらで考えてみる。

 

それがもし不正解だった時に、何年後かに気づいたとしても、その時あれだけ良いとされていたのだからと逃げることも出来るし、そんなことを言っていると自分のように、全く動けなくなる可能性も残っているので、今回はこの場合も無視する。

 

良い事はたくさんあって、こうなるべきという姿はいくらでもある。

特に探さなくたって何かのタイムラインを少し見ていれば勝手に入ってくるし、ネットで何か調べていても全く目につかないという事は無い。

様々な有名人が、成功者が、本当に素晴らしい活動を何度も行っており、それを何万、何十万、何百万、何千万という人が見、感動し、気持ちよくなっているのだから当然だ。

 

そんな有名人みたいになりたい、真似しようと気を付けるのも当然だと思う。

実際問題、金銭的余裕、時間的余裕がすべての人にあるわけではないので、すべてを真似することなんて物理的に無理だし、いくら気を付けたって、簡単なものであっても、出来ない時もある。それは当たり前だが、自分の目指したい先というものが簡単に分かることが出来て、行動しやすくなっている。

 

それらをうまく自分の生活の中に入れて、参考程度に取り入れる、自分というものを一度考え直すという分においては凄く良いことのような気もするが、実際ここまで正解、不正解が目に見えるようになると、不正解をしてみたいという人は減るし、正解をみんながしようとする。

そして、そうなりやすい世の中になっているというのは魅力的なように感じてしまう。

 

一見それは良い事に見える。多くの人が良いと思っている事をする人が増え、嫌なことする人が減り、凄く良い社会になったという人も多いと思う。

 

訳の分からない迷惑行為などは28の自分から見ても昔と比べて明らかに減ったし、凄く生きやすいというか良い社会になったと思う。

 

確かに、こんなことする人いました。などと書いている人がいて、凄く拡散されていることは今でもたくさんあるが、そんなことは昔は当たり前のようにもっとあった。

可視化されて簡単に見れるようになっているので、まだまだ変な社会だと思われる人もいるかもしれないが、自分の感覚としては、社会としては、治安という意味では凄くよくなっているようにも思える。

 

ここまで読むと、良い事じゃないかと思われるだろうが、本題はここからだ。

 

こうなるために一人一人の負担は非常に増している。

良い事をするために、悪いことをしないために、非常に大きな制限があり、何かをしようとするときの障害が多すぎる。

自分が良いと思う事であるならば、気にせずやれば良いという人もいるかもしれないが、正解がここまで見えているのだ。

それを気にせずという事はなかなか出来ない。

 

みんな良い人になりたい。良く思われたい。これはある種、本能のように存在している。

 

そして、やる事、考える事が多すぎるのだ。すべてをすることは当たり前のように出来ないが、そこで完璧な人間を目指そうと、がんじがらめになる人はそこまで居ないかもしれない。

だが、多くの人にとって目指す先、やりたいこと、これが簡単に見えすぎることによって、自分の本当の考え、やりたい事というものがどうしても見失ってしまうような気がする。

 

やりたいことは、良い事の真似なのだ。

別に真似が悪いと言いたいわけではない。頑張って頑張って凄い人に近づく、少しでも良い人間になるという事は別に間違っていない。最短でそこにたどり着くことが出来るのかもしれない。

しかし、そこには非常に怖い危険が待っている。

 

膨大な情報量に飲み込まれて、自分というもの、自分のやりたい事というものを見失ってしまう可能性があるのだ。

 

現に自分がそうなってしまったので、強めに書いてしまうが、良いものというものは実際存在しない。

自分はなんでも楽しくできて、ほんとに器用に色々なものを楽しんで生きてきた。でも、それは誰かにとってそれが良いから、周りにとってそれが良いからであった。

 

それで自分も楽しくて、周りも喜んでくれる。一石二鳥だったのだ。

しかし、今、こうやってうつ病になり、何も出来なくなった。誰かのために何かをするどころか、自分自身の事さえもままならない状態だ。

 

その時にふと考えたことがある。

「俺は何をしたいんだろう」

こんな簡単なことが、当たり前のことが自分には無かった。

 

無かったというと厳密には嘘になるかもしれない。誰かが笑ってくれる、喜んでくれることがしたかった。というものはあった。

だけど、凄く何かの勉強がしたいとか、スポーツをうまくなりたいとか、有名人になりたいとか、そういったものが一切なかったのだ。

もっと言えば、もっと遊びたい、ゲームをしたい、本を読みたい、モテたい、そういったことすらなかった。

自発的にやりたい!したい!と思うことが無かった。自分のやりたいことはみんな、他人目線のものだったのだ。

 

ただただ、良い人になりたかった。

良くも悪くもそれだけだった。

うまく行っている間はそれで良かったのだから、それでいいのかもしれないが、社会にとって良い人になろうという目標は突き詰めれば突き詰めるほど非常に難しく、また、自分がうつ病でなくても何か病気や怪我などで出来ない事が出来た時、足を引っ張る側に立った時、非常に重いただの重りになってしまう。

 

良い人、正解、これを目指すなという訳ではない。

それは多分良い事だ。だけど、それに捉われて、自分が本当にやりたいことを見失わないで欲しい。

 

社会にとって良いことをする。それは確かに大事かもしれない。だけど、あなたにとって一番大事なのは、あなたがしたいことをする事なのだという事も忘れないで欲しい。

 

自己肯定感の低い人ほど、良い人ほど陥りやすいことだと思う。

もっと良い人にって、社会の役に立ちたいって、そうやってどんどん進んでいくことで、自分のしたい事というものを見失ってしまえば、それはあなたの周りの人にとって悲しい事なのだという事も覚えておいて欲しい。

 

そうやって長年生きて、自分を見失い、やりたい事という事も失い、ただ時間を過ごしているだけの俺に言われたくないことだとは思う。

 

ただ、経験者として、良い人、正解を目指すという事だけを追い求めるのではなく、自分というものをしっかりと持って、しっかりと見て、その上で、物事をした方がいいのではないかという提案ぐらいの気持ちでも受け取っていただけると嬉しく思う。

 

失った自分は、自分なのに、一番近くにいるのに、見つけられないから。

自分の人生なのだから、もう少し気軽に、正解とか不正解とか関係なく、やりたい事をやっていいと思う。

法に触れるものはダメだけど、やりたいことを我慢する理由なんて無いし、やりたいことのために生きてると言ってもいいと思う。

小さなことでも、壮大な夢でもなんでもいい。それが本当に大事だとうつ病になって、28になって、やっと分かったような気がする。

 

自分のやりたいことはありますか?

もしあればその思い、大事にしてあげて欲しい。

無い人は一緒に探しましょう。一度無くしたからもう手に入らないなんてことは無いと信じて。