はじめに、自分はうつ病です。そして今、調子はまあまあ悪い状態。
もう一つ挙げるなら、自分は昔、いわば受験戦士と言われるような人間であって、集中するのは得意というか、テストとなると、今はやりの言葉で言うと全集中出来る人間だと思う。
自分のことをダラダラ書きたい記事ではないので簡単に書くと、高校の時体育会系のそこそこ忙しい部活に入り、それでいて医学部を目指していたのもあってそういう体になった。ミスは絶対許されないし、自分の力を100%出せないと受からないから、普段からプレッシャーをかけ続けてたらこんな体になってた。
これ自体が悪いとは思わないし、そのおかげでうつ病になったため辞めてしまったけど、医学部に入学できたし、今公立大学にいられるのもこの体質のおかげだと思う。
自分の過去はここではどうでもよくて、自分はこの二つを持っていて、それでいてテストを受けるという体験を今日したので、その感想を書きたいと思った。
今までは調子がいい時しかなかった。2度目の受験の時、初めての休学をする前は調子が良かったし、2度目の休学の時はテストまで持たずに休んでしまったから、初めて調子が悪い状態でテストを受けることになった。
驚いたのは、集中は出来るということだ。今家で課題をしたり、授業を受けたり、何かをするときは凄い準備がいるし、集中なんて出来なかった。ダラダラと何とか耐えるような形で授業や課題をこなしてきた。
正直テストも耐えるような形であんまり集中することなくふわっと終わると思っていた。
だけど、思春期にできた体というか、習慣というか、これは凄く怖いもので、テストってなっただけでスイッチが入った。
だからと言って凄い集中できたわけじゃない。ほとんどパニックのような精神状態になりながら、でも今の自分の持っていける集中力は全部テストに持っていけたような気がする。高校時代を100とするなら1くらいの集中力だけど、普段は頑張ろうとしてもほとんど0なので、それが驚きだった。
ここで悲しかったのは、その時はそんなこと考えている暇も隙も無かったけど、どれだけ頑張れても1くらいの集中力しか今の自分にはないことだ。分かっていたけど、これは悲しかった。
もう一つ、今回書きたくなったのはこれが主な原因だけど、その1レベルの集中力であったとしても、自分自身のメンタルというか、心は限界だった。パニックになっていることが分かるレベルでドキドキしていた。
手汗も普通の汗も半端じゃなかった。真冬でしかも換気している為、凄い寒かったけど、80分汗が止まることはなかった。頭は確かに問題に向けられていたと思うけど、正直考えられているとは思えないくらいいっぱいいっぱいだった。多分集中力1でさえ今の自分にとっては限界をはるかに超えていたのだと思う。
出来たかどうかも分からない。ゆっくり振り返った今も、どんな問題だったか、どんな回答したか、ほとんど覚えていない。
終わった後外に出て、すぐに車に向かった。
運転席で放心状態で2時間ほど過ごした。
別に命が危なかったわけじゃないし、凄いことが起こったわけじゃない。ただ一つのテストを受けただけだけど、気持ち的には限界を超えていた。
別に追い込まれていたわけじゃないし、テストは事前に分かっていて、数日前から気持ちの整理をしていた。だけど、自分の過去から、ミスは出来ない。力を100%出さないといけないという習慣が、強迫観念に近いような感じになっていたのかもしれない。
気持ちは完全に追い込まれていたと思う。
そうやって追い込まれたら、うつ病の人間はどうなるのか、今の自分はどうなるのか、これに対して昔、少し興味を持っていたこともあって、帰ってきてから少し考えてしまった。
答えが別に出たわけではないけど、多分、自分はこれをしないと死ぬってなったとしても、出来ないと思う。
死に対して恐怖心がないが、そういう事ではなく、物理的に出来ないということに気づけたような気がした。
元々うつ病に対して、甘えている、本当は出来る、などと思っていたわけじゃないし、信じられていなかったわけじゃない。
だけど、誰よりも自分が自分の病気に対して懐疑的な気持ちをどこか捨てられていなかったというのは確かにあると思う。
出来ない経験も、苦しみも8年も続けてきたにもかかわらず、出来る限りの知識も入れてきたにもかかわらず、どこか完全に捨てきれていない部分はある。どれだけそんなことはないと思おうとしても完全に捨て去ることがどうしてもできない。
今回で完全に捨てられたわけじゃない。だけど、また一つ経験としてできたのは凄い良かったような気がしている。
凄く危ないような気もしたし、うつとか関係なく、これだけ心臓が動いて大丈夫じゃないだろって思うくらい体にも影響はあった。
だけど、自分は本当に出来ないんだ、ということを改めて実感した。
追い込まれたとしても出来ない。みんながみんなそうなのかどうかは分からないけど、甘えじゃないと思える一つの要素になるような気がしている。
当たり前なんだけど、本当に甘えじゃない。分かっていたけど、さらに分かれた一日になった。