20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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何もしないということの難しさ

今、自分は何をしているのか。

 

 たった今の自分のことを考えれば、頭で色々思い返したり、考えている。また、キーボードを使って打ち込んでいる。皆さんはこのブログを読んでいることと思います。また何かを考えたり、思い返したりしているかもしれない。

 

 ほかのタイミングのことを考えても、意識的に何かをすることもあれば、何も意識することなくても、何かしら考えたり、動いたりしている。

 

 人はこのように、何かしら「して」生きている。

短い時間のことを考えれば、人は息さえすれば生きていけるはず。

それなのに息だけをして生きている時間というのはほとんどない。

予定が全くなく、何もすることがなかったとしても何かしら考えてしまう。

 

 自分がうつ病になったとき、初期のころは本当に何もできなかった。

一日のほとんどをベットで過ごし、何も行っていなかったのだが、起きている間はずっと後悔と自責の念、罪悪感で埋められていた。

 それを半年ほど行ってきた。

半年もの間、考えることは全くないはずなのに、やめることなくずっと考えていた。

病気がましになってからも数年、社会的にみてほぼ無の存在で数年過ごしていたが、その間もずっと、考えていた

 

 何も考えていないといえる時間はなかった。

 

 別に考えたかったわけじゃない。

むしろ、途中からは何も考えないようにするために頑張っていた。

それでも、病気になり、このことについて意識し始めてから8年間、何も考えないということは出来ていない。

 社会から離れ、接触も家族との一瞬だけ、予定もすることも、したいことも何もない、何も考えることのない状況に長年身を置き、少しずつ社会に復帰しだしてからも自分を見つめ、自分と向き合い続けてきた。ずっとやろうとしていたのに、

 

なにもしない ということができなかった。

 

 

今も、瞑想や座禅のようなことを時々する。

病気は、悪かったころと比べて大分よくなったのだが、未だに何かしら考えてしまう。

無心にはなれない。

未だに過去を悔やんでいるのか、迷いがあるのか、何かを欲しているのか、焦っているのか、怒っているのか、はたまた何も考えないでおこうということ自体を拒んでいるのか・・・

 

これすらも自分は分からない。

 今までの自分、自分のしてきたこと。これは自分の中で何度も見つめなおし、しっかりと向き合い納得した。納得したつもりだ。

 だが、納得できていないのだろう。どれだけ考えたところで、悩んだところで、過去は変わらない。今どうあるか、どういるかだけが今の自分なのに。

 

 わかっている。いや、わかっているつもりだが、まだわかっていないのだろう。

 

無の境地に達するとか、悟りを開くとか、そのようなたいそうなことは出来なくていい。

ただ今の自分を認めたい。

 

 それでも何もしないことすらできず、邪念が心に染み込んでいるのが今の自分だ。

それだけでも分かっただけで、今は満足している。

 

 いつの日か、無心で自分と向き合い、なんの飾りもないただの自分をしっかり見て、そのまんまの自分を納得できる日が来るのだろうか?

 

 そんな邪念を抱えながら、今日も壁に向かって座っている。