20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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無駄なことというのは悪いことなのか

  無駄なことを肯定的に取る捉え方は色々ある。

無駄なことは楽しい。無駄があるから豊かになる。幸せは無駄である。無駄なものに魅力を感じる。

一度は聞いたことはあるのではと思う。

 これについては自分も思うところはたくさんあるし、無駄の楽しさについても、いつかブログで書きたいと思う。

 今回は、そもそも楽しいとか幸せとか、他の物を手に入れられるから無駄が悪くないということでなく、そもそも無駄というもの自体の話をしたいと思う。

 

 

 自分自身、物事に対して、良い、悪いと決めるのは好きじゃないし、物事に良いも悪いもないと思っている。

なら何も良いことじゃないし、何も悪いことでもないのだから、無駄も悪いことの訳が無いのだが、これは別に物事に良し悪しなんてないと思いたいから、悪いことではないと思っているわけではない。

 むしろ良いもも悪いも無い、と思っているのは後から来たもので、先にそう思うのはだめだ。一つ一つに対してよく考えて、結果的に出る考えでなければならない。一つでも例外があるなら、いくら強調したくても使ってはいけないし、そうではないと考えていることになると思う。

 

 ならなぜ、無駄は悪いことではないと思うのか

無駄をなくしたい。無駄なことをしたくない。

これは普通の考え方であると思う。

勘違いされるかもしれないが、無駄なことは良いことで、率先して無駄なことをやりなさいと言っているわけでもないし、無駄なことは悪くないからやっても何の問題もないと言っているわけでもない。

むしろ、

 今よく叫ばれる働き方改革も、時代が進み、技術が進歩し、やらなくていい無駄があるから技術をよく使っていらないことをやらないようにしようという画期的な考え方だし、

 断捨離やミニマリストのように、自分にとって必要かどうかを考え、必要のないものを捨て、無駄のない生活をすることも素晴らしいと考えだと思っている。

 

 言いたいのはただ

無駄ということは悪いことではない。そう思っている。ということだけだ。

それを踏まえて、やるかやらないかを決めればいいし、別に悪いと思っていてもやってはいけないとはいえない。

 

 無駄なこと。これは生活しているうえでたびたび現れる。

悪くないとよく言われることでいえば、部活や受験勉強、就活、仕事、どれだけ頑張ってとしても結果成し遂げないと無駄になるといえる。

これは途中での経験や、途中で手に入れたものが大事ということや、それそのものが良いと思える。という上でわざわざ書かなくてもいい気はする。

 悪いと思うのは、1時間でできることに、わからなかったり、気づかなかったりして、1日かかってしまったり、まったくやらなくていいことを知らなくて、やった結果何の意味も無かったことなどの無駄だろう。

 だけど、これは悪いことなのか。

あえて相手を困らせるためにやっていたのだとしたら悪いことのように思えるが、それは相手を困らせようとすることが悪いことであって、無駄なことというものには罪がないように思える。

 知らなかった。気づかなかった。ということに関してそれを分かるように普段からだったり、それを行う前や行っている途中に考えていない、努力をしていないからだ。と思えるかもしれないが、それをしなかったおかげで経験したことに関しては何も見えていない。判断するには材料が足りないような気がする。

 では例えばものすごい怠け者でただだらだらと過ごし、何も考えておらず、適当にやっていた結果無駄なことを続けていた場合はどうか?

 これも別に悪いとは言えないことはないだろうか。

例えば会社の上司で、何かを指示した結果、このような人が無駄なことをし続け、ノルマを達成しなかった場合、彼が悪いのか。

 彼には能力がなかった場合、雇うことに問題があり、努力しなかった場合、努力する環境を作っていないこと、また、そもそも指示の内容が悪い可能性は無いのか。

 

 努力する人間はえらい、成長するように努めなければならない。とよく言われる。

しかし、それが普通と考えることや、逆に、そうしない奴は悪いと考えるのはおかしくないだろうか。

そうしなくても出来る人間がいるのにわざわざそんなことをするのは、それこそ無駄だと思うかもしれないが、それこそ傲慢ではないだろうか。

 

 無駄なことは悪いこと。という固定概念が悪いという物を作りだしているというような気がしてならない。

 問題はどこかで考えを止めることではないだろうか。

確かに原因を考えるのは大変であり、答えと言えるものは存在しないのだから、何か言葉にして結論を付けないと相当大変な思いをしてしまう。それこそ多大な無駄な考えが生まれてくるといえるだろう。

そういう意味でこれは無駄だ。これは悪いのだ。と結論づけることは非常に合理的で便利だ。

 

しかし、これは無駄。無駄は悪いと、あたかもそれが正解と思い込んで疑わないことは思考の停止を産んでしまうと感じる。

無駄なことは楽しさを生み出すということなどはいったん置いといても、

無駄は悪いと思うことに関してはダメだとは言えないと思っている。

しかし、そう決めつけることで成長できなくなったり、勘違いが生まれてしまう可能性は十分にある気がする。

 

 前へ進むために、無駄なことは悪いことと思って、変えていくことは正解なのかもしれない。でも、どこかで無駄は悪いと決めつけ、その考えの下で自分はそう考えていると意識することは必要なことのような気がする。

 

 無駄については色々と考えることが多く、今回は特に変な文章になってしまった、、

書きたいテーマなので、推敲を何度しても書きたいことが書けてなくて悲しい所もあるが、今後も書いていきたいので、一発目としてはこんなもんかと無理やり納得して出しました。

ヘタな文章ですが、読んでいただいてありがとうございました。