20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

MENU

うつ病の人は人とどう接したらいいのだろうか

この間今はやり?のズーム飲み会というものをした。

うつ病になってから、一度は何とか大学に入学したが、やはり自分自身が何も変わってないのもあってか、休学して、ほとんど外との連絡をしていないので、久しぶりに友達とお話しさせてもらった。

自分自身、何か変わらないと、この先が厳しいということは分かっているが、結局どうしたらいいか全くわかっていない。

 

人と会うこと、人と話すことが嫌いなわけではない。むしろ、うつ病の人では珍しいかもしれないが、人間関係もずっとすごく恵まれ、本当に楽しくさせていただいたのもあってか、会ったり、話したりするのも大好きだ。

だから、すごく楽しみだったし、実際楽しかった。

うつ病になってから、これまで話す機会もあったし、新しい大学に入学してからの人間関係もすごく楽しく過ごさせていただいている。

 

なら、何も心配しなくていいような気がするが、病気になったからなのか、元々の性格なのか、すごく怖いのだ。

楽しみではあるし、実際楽しい。けど話す前からどんどん怖くなり、終わった後から急激に増してくる。

これならもう会うのはやめよう。話す機会なんていらない。と思ってしまう。

 

周りが嫌な奴だから。何か言われたからとかではない。むしろ、多分ではあるが、色々考えてくれていたり、調べてくれているのか、すごく気を使って、普通に接してくれる。人それぞれではあるが、楽しませてくれるし、こっちが気を使わないような配慮も感じる。

それが怖いのかもしれない。迷惑をかけているうえに、わがままな話になってしまうが、うつ病になる前からもだし、なってから特に、周りの気持ちが見えるような気がする。他人の気持ちなんて絶対に分からないとは分かっているが、すごく見える気がするのだ。

自分なんかに気を使って欲しくない。この考えがおかしいとは思うが、してほしくないという傲慢な気持ちはなくならない。

だからこういう病気になった可能性もあるし、気にしすぎているから戻れないのもすごくわかる。

 

だからと言って、割り切るなんて出来ない。出来るならそもそも病気になってないし、早く戻れたとも思う。

自分にとって普通に接してるだけなのだ。普通に。

 

さっき、病気になってから何も変わってないとは言ったが、気づいたことはある。それによって意識はしてないが変わっている部分もあるかもしれない。

自分は周りを気にしすぎ。相手に好かれようと頑張りすぎ。相手のために生きてる。自分のことを全然知らない。自分のやりたいことがない。

いくらでもある。これがいいか悪いか客観的には分からないが、今の自分にとって、これらの考え方がうつ病を悪化させていることは分かる。

 

でも、これらは自分の普通なのだ。やめようとするには、それが自分のためだったとしても相当な無理をしてしまうことになるし、なかなか出来ることではない。

病気になる前なら多少は変えられたかもしれない。しかし、うつ病になって、考えさせられて、自分の普通のままではだめだということに気づかさせられて、変えろと言われても、どうしていいかわからないのだ。

気を使わなくていい。思ったように言っていい。自然に、無理せず、、、

それが出来ないから今ここで苦しんでいるのだ。

無理しないなら今のまま、楽しんで、怖くなって、どうにもいかなくなるこの現状が今の自分にとって一番無理をしていない形だ。無理をせず普通にというと、フラットな状態をイメージするかもしれないが、うつ病の人間にとって無理をしない形は恐怖と自責の念と緊張と不安と、、、の中にいることで。これが普通で無理のない自然な形なのだ。

 

だから何かを変えなきゃいけない。

とは思う。

でも自分の普通がそこにある限り絶対に思い出すし、変えた後ずっと無理してしまう。自分は間違ってたと心の底から思えれば出来るのかもしれないが、自分だってうつ病になるまでの20年間何も考えずに適当に生きてきたわけではない。

これが自分の形になるまでいろいろあった。それをすべて忘れることなんてできないし、それだけの年月をかけてたどり着いた結果を簡単に覆すことなんてできない。

それに、外から知識を入れず1から考え直せばたどり着く結論に今の自分はいるのだ。どれだけ意識しても、何度やろうとしても帰ってきてしまう。

 

一度切り離して新しい人間関係でのみ生活もした。ためこまず言ってみたりもした。ちょっと嫌なやつな感じで接したりもしてみた。

でも、これらすべてが自分にうそをついていて、結局自分を苦しめる種になってしまうのだ。

 

自分は間違っている。それだけは分かる。これが正解ならこの世界は本当に悲しい世界だ。そんなことはないと思いたい。でも、正解が分からない。

それに、人間関係なんて人それぞれで、正解なんてどこにも無いのだ。人間の在り方だってそう。正解なんてない。

それなのに正解じゃないといけない。なんてことはないし、間違っているから悪いなんてこともない。

でも、実際に会って、話してとする際、何かしら出さないといけない。

黙っているだけでも、それが自分の答えになるし、どうしたって間違っていると思っている自分の答えを出さないといけないのだ。

 

悩みを打ち明ける。相談する。20年間楽しく過ごし、ほとんどすべてがうまくいき、悩みという悩みを持ってないと思っていた、愚かな自分ではできなかったことだ。

自分の体にずっと無理させてきたのだろう。

相手ばかり見て自分を見てこなかった罰だ。

これからは自分をいたわっていきたい。いきたいのに、わからない、、

 

どうしたらいいんだろう。正解のない答えを探す、終わらない旅を続けながら苦しむ日々は、いつか終わるのだろうか。