20歳から11年、いまだにうつ病に苦しむ人間の頭の中

20歳までは順風満々だった男がうつ病になり、すべてが終わったと感じてから、日常生活をぎりぎり生きられるようにまでは戻った人間の現在

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心は本当に脳にあるのだろうか

心は脳にあるのだろうか。心と言えば、昔は心臓の場所を指して言っていたこともあると思う。気持ちだったり、感じたことだったりによって心臓がどきどきしたり、キュッとなったりしたからだろう。

他の理由だったとしても、脳とは切り離して考える考え方というものはあった。

 

今はどんどん解明されてきて、その構造やメカニズムが分かってきている。

すべては脳が指示を出していて、結果心臓が動いているだけで、心というものは脳にあると、今の人々は何の疑いも無く考える所まで定着したようにも見える。

自分も例外ではないし、自分の気持ちだったり、感じ方は脳がどのように考えているかがすべてという事に疑いはない。

 

 

だけど、本当にそう思っていて良いのだろうか。

 

本当はどこにあるのかよりも大事なことは無いのだろうか。

 

 

確かに、数多くの論文で証明されてはいる。事実としては確かに心は脳にあるとは思う。

だけど、すべてのことを脳で処理しきれるわけではない。

 

 

かつて、ナッシュ均衡などで天才と呼ばれた数学科がいたが、彼は統合失調症という病気に苦しめられていた。

その病気を何とか解読しようと、その天才が考えれば考えるほど深みにはまり、ついには脱出することが出来ずにうまく付き合いながら人生を過ごし、2015年に亡くなってしまったのだが、彼ほどの脳と莫大な時間をもってしても、分からないことはあるという事実は残っている。

 

 

彼については彼がまだ生きている間に放映された、「ビューティフルマインド」という映画にもなっていて、とてもいい映画だと思うので、もし気になった方がいらっしゃいましたらお勧めしたいと思います。

 

少し離れてしまったが、確かに心が脳にあったとしても、頭の中ではどうにもならないこともたくさんあって、考えても分からないこともたくさんある。

そんな事はわざわざ言うまでもなく、当たり前のようなことだが、頭で考えて分からい事は、勉強するか、時間をかけて何とかするしかなく、気持ちでどうのこうのできないという事も当たり前になっていることが、少し怖いように感じることもある。

 

 

自分がその傾向が強かったからかもしれないし、多くの人はそこまで考えて動いていないかもしれないが、うつ病になって、自分はずっと頭で解決しようとしてきた。

 

どんなことをすればいいのか、どういう事は病気を悪化させるのか、どうしたら休めるのか、何をするとどうなるのか。

ずっと頭で考えて、頭で解決しようとしてきた。

 

当然と言えば、当然のことで、それ以外に手段がなくて、頭で考えないと体は動かせないし、頭で分からないと、他に何かする手段がないからだ。

そして、それはもう当たり前の話で、他の手段というものは自分には無かったからだ。

 

これまでも、頭でどうしようもないことはたくさんあったが、諦めたり、運よくうまく行ったり等で何となく過ごしてきたが、うつ病となると話は変わって、何とかならないと、放っておいたまま生活は出来ないので、頭でどうにかするしかなかったのだと思う。

 

それ以外という事は無いとも思っていた。

当たり前のように考えていた。

 

 

なら、考えず、何もせず、ただ待つというのが正解なのか。

そうだとも思えない。

 

日々苦しく、しんどい思いはし続けるわけで、どうにかして少しでも和らげたい、治したいと考えることはやめられないし、頭ではどうしたって無理だから、考えたところで答えなんてない、考えるだけ無駄だ、むしろ悪化するだけだ。という言葉はあまりにも乱暴にも思える。

 

 

どうやったらこの堂々巡りを止められるのか。

治せるのか。

解決できるのか。

この現状を打破できるのか。

 

ずっと頭が、脳がすべてだと思っていた俺には全く分からない。

この解を見つけることこそが、この病気に打ち勝つ唯一の方法と思ってしまう。

 

どれだけの天才ですらわからず、長年多くの研究者や医者が考え続けても分からないこの問題に対して、一人で解こうとするこの無謀な行動を間違っていると、止めることが出来ない。

 

すべては脳で考えられた事、という事が当たり前で、そうやって生きてきた俺には出来ない。

 

 

気持ちも、感情もすべて脳が支配している。

それは正解なのかもしれないが、その事実は凄く冷たく、厳しい現実を突きつけているような気がしてならない。

 

 

自分には長い経験で、新たに感じたわけではないが、このコロナ禍で人のぬくもりの大事さというものを感じた人も多いように思う。

 

頭で理解する以上のことを人は出来ていて、それだけで生きているわけではないという事も、当たり前に存在していることも知っていると思う。

 

 

科学の進歩を否定したいわけじゃないし、化学は素晴らしいものだと思うが、どんどんと事実が分かってきて、心は心臓ではなく脳にあると、そう思えば思うほど、本来大事である「温もりのようなもの」を失っているのかもしれないと感じる。

 

この「温もりのようなもの」は何なのか。脳で理解することなく、考えることなく行っている、それ以外の要素は何なのか。

 

いずれ解明はされるのではあるのだと思うが、それが心であって、何が解明されたとしても、それを大事に持つことに意味はあるのではないかと思う。